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東京高等裁判所 昭和59年(う)352号 判決

目 次

主文

理由

第一 法令適用の誤りの主張について

一 爆発物取締罰則一条、三条所定の「人ノ身体ヲ害セントスルノ目的」の意義

二 爆発物取締罰則三条所定の爆発物製造の罪といわゆる他人予備の成否

第二 事実誤認等の主張について

一 総論

1 被告人らのグループの実態と被告人の地位

2 被告人らのグループと赤軍派との関係-「黄河作戦」の実在性

二 各論

1 古堅方爆弾製造事件

2 高円寺駅前交番爆破事件

3 手形山ダイナマイト窃取事件

4 いわゆる連続交番爆破事件

5 仙台国見米軍通信所爆破事件

6 追分交番爆破(クリスマス・ツリー偽装爆弾)事件

三 小結

第三 量刑不当の主張について

第四 結語

控訴人 弁護人

被告人 松山弘、玉井浩二こと鎌田俊彦

弁護人 野田房嗣 外三名

検察官 大和谷毅 外一名

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中六〇〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人野田房嗣、同安田好弘、同平野和己、同大口昭彦共同作成名義及び被告人作成名義の各控訴趣意書(以下、「弁」又は「被」と略記することがある。)に記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官大和谷毅作成名義の答弁書に記載のとおりであるから、いずれもここに引用する。

右各控訴趣意に対する当裁判所の判断は、以下のとおりである。

第一法令適用の誤りの主張について

一  爆発物取締罰則一条、三条所定の「人ノ身体ヲ害セントスルノ目的」の意義(弁護人らの控訴趣意第一の一の2)

論旨は、要するに、爆発物取締罰則一条、三条所定の「人ノ身体ヲ害セントスルノ目的」(以下、「身体加害目的」という。)があるといえるためには、身体加害の結果発生の認識、認容を越え、かかる結果発生を積極的に欲する意図が必要であると解すべきであるのに、これを否定し、そのような「積極的意図を持つている必要はなく、当該爆発物の爆発により人の身体が害されるという結果の発生を認識しながら、結果が発生してもよいと考えて行為に出る意思があれば足りる」とした原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令解釈適用の誤りがあり、到底破棄を免れないというのである。

しかしながら、爆発物取締罰則一条、三条にいう「人ノ身体ヲ害セントスルノ目的」があるというためには、爆発物を使用し又は人をして使用せしめることにより人の身体を害する結果の発生することを未必的なものとして認識し、かつ、これを認容することをもつて足り、必ずしもその発生を確定的なものとして認識し、あるいはこれを意図することを要しないものと解するのを相当とするから、これと同旨に出た原判決の法令の解釈は正当である。

以下、若干補説する。

目的犯における目的は、主観的違法要素であるが、故意を超過するものとして構成要件に取り込まれたものであり、その構造は、故意におけると同様、その対象となる事象に対する認識(将来の事象については予見)という知覚的要素と、その実現へ向けての意図ないしは認容という心情的要素との複合したものである。

爆発物取締罰則一条、三条所定の身体加害目的についてこれを見るに、従来、前者についての確定的認識あるいは後者についての結果実現への意図のいずれかを要するとの裁判例も見られたところであるが、近時、身体加害結果発生の未必的認識とその認容とをもつて足りるとする裁判例が定着する傾向が窺われ、右解釈は妥当なものとして、当裁判所もこれを支持すべきものと考える。

まず、身体加害結果の発生に対する認識の程度の点について考察すると、もともと確定的認識と未必的認識との区別は相対的なものであつて、その境界は流動的であるうえ、目的犯における目的にあつては、認識の対象となる事象が、実行行為時を標準とすればすべて将来の事象に属し、不測の障碍によつてその発生が妨げられる可能性が絶無とはいえないことからすれば、絶対的な意味での確実な予見ということは不可能に近い。まして、爆発物使用の形態はさまざまであつて、本件の如く、時限装置を用いて数時間後に爆発させるとか、あるいは発射装置を用いて数キロメートル先の目標に向けて飛翔させるなど、実行行為と結果発生との間に時間的・空間的離隔を生ずる場合も少なくなく、これらの場合には、結果発生に対する予見はいきおい未必的なものを含まざるを得ない。そして、爆発物取締罰則の立法目的からすれば、かかる未必的認識にとどまる場合に、これを処罰の対象から除外し、前記各条の適用を殊更に限定すべき合理的理由は、これを見出すことが困難である。

右のような解釈は、爆発物取締罰則に特有なものではない。すなわち、目的犯における目的は、前記各条のように一定の犯罪的結果の発生を対象とするものに限られず、一定の犯罪的行為に出ることを対象とする場合(各種予備罪における基本的構成要件に当たる「罪を犯す目的」、各種偽造罪における「行使の目的」、猥褻図画所持罪における「販売の目的」など)、その他さまざまな場合を含むものであるが、予備罪における目的は基本的構成要件該当行為についての故意(未必の故意を含む。)と一致すると解するのが一般であるし、これらの目的につき、未必条件付のもので足りるとする裁判例も、古くから見られるところである(殺人予備罪につき大審院明治四二年六月一四日判決、刑録一五輯七六九頁、文書偽造罪につき大審院大正一一年四月一一日判決、法律新聞一九八四号一九頁など)。従つて、爆発物取締罰則における目的に関し、前示のような解釈をとることは、何ら刑罰法令における「目的」の概念に異質な要素を持ち込むものではない。

次ぎに、身体加害結果の実現に向けての意図ないし認容の点につき検討する。

結果発生についての認識(予見)が未必的であることと、その実現に向けての心情が認容の程度にとどまることとの間には、必ずしも論理必然的な関連はない。たとえば、誣告罪における「人をして刑事又は懲戒の処分を受けしむる目的」や、公職選挙法の罰則における「当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的」の如く、行為者の支配の及び得ない第三者の行為を介してのみ実現すべき結果の発生を目的の対象とする場合にあつては、結果発生の蓋然性が極度に乏しいこともあり得る反面、行為者の行為それ自体から結果発生に対する積極的意図の存在を類型的に肯認し得ることが多いものと思われる。

しかし、右のような事例は特殊なものであつて、結果発生の認識(予見)が未必的である場合には、その実現に向けての心情も認容の程度にとどまるのがむしろ通例である。従つて、この場合において結果実現に対する積極的な意図のあることを要件とするときは、結果発生の認識(予見)が未必的なもので足りるとした意義を大半失わせ、処罰の範囲を不当に限定することとなりかねない。もともと爆発物の使用という行為は、それ自体法益侵害の危険を伴うものであるが、それが、鉱石の採掘や土木工事など、社会的に有用な目的で行われる場合には、保安基準の遵守等、法益侵害の危険を回避するための万全の措置が講ぜられるのに対し、罰則所定の違法な目的で行われる場合には、法益侵害の危険が格段に高められるところから、これが禁遏されているのであつて、たとえ未必的であるにせよ、身体加害結果の発生が予見される状況の下で爆発物を使用することは、当該行為の違法性を基礎付けるに充分であり、行為者の意思が積極的な意図であると、認容の程度にとどまるものであるとによつて、その違法性の強弱に犯罪の成否を左右するに足りる程度の差異を生ずるものではない。

それ故、結果実現へ向けての意思を積極的な意図のある場合に限定すべき合理的根拠はなく、認容の程度をもつて足りるものと解するのが相当である。

以上のとおりであつて、身体加害目的があるといえるためには、その結果発生の未必的認識及び認容の存することをもつて足りると解すべきである。原判決の法令解釈に所論の誤りはない。論旨は理由がない。

二  爆発物取締罰則三条所定の爆発物製造の罪といわゆる他人予備の成否(弁護人らの控訴趣意第二の一の2)

論旨は、要するに、原判決は、原判示第一の古堅方爆弾製造事件に関し、被告人は、他と共謀のうえ、「赤軍派が黄河作戦で警察官を殺傷するために用いる爆弾であることを認識しながら」、原判示目的をもつて原判示鉄パイプ爆弾二個を作つた事実を認定したうえ、その所為を爆発物取締罰則三条所定の爆発物製造の罪に問擬しているが、仮りに事実関係が原判示認定のとおりであるとしても、同条にいう「第一条ノ目的ヲ以テ」とは「第一条の罪を犯す目的をもつて」の趣旨と解すべきであつて、罪を犯す主体は自己に限られ、いわゆる他人予備の場合を容れる余地はないから、原判決は三条の解釈適用を誤つたものであり、右誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるとして、原判決の破棄を求めるものである。

しかし、同条所定の爆発物製造の罪が成立するためには、治安を妨げ又は人の身体財産を害する目的をもつて爆発物を製造することを必要とし、かつ、それをもつて足り、製造する者が、自ら直接その爆発物を使用する意思であると、他人に交付して使用させる意思であるとを問うものではないと解するを相当とするから(最高裁判所昭和五〇年四月一八日第二小法廷判決、刑集二九巻四号一四八頁)、原判決の法令解釈適用に所論の誤りはない。論旨は理由がない。

第二事実誤認等の主張について

一  総論

1  被告人らのグループの実態と被告人の地位(弁護人らの控訴趣意第一の二)

(一) 論旨は、要するに、原判決は、被告人らのグループの実態とそのグループ内における被告人の地位につき、〈1〉その「量刑の理由」と題する項において、「本件は、武装闘争を先鋭化することにより暴力革命の先駆的状況を作り出そうとした被告人が、自らをリーダーとするいわゆる鎌田グループの仲間と共に、連続的に敢行した爆発物の製造・使用等の事犯である」、「本件は、また、鎌田グループという集団が周到な謀議を重ね、各人の役割分担を定め、下見をしたうえで犯行に及んだという組織的、計画的犯行である。右グループは、被告人の供述するとおり『やる気のある者の集まり』であつて、厳しい規律によつて結びつけられていた組織ではなかつたが、被告人は、リーダーとしてこれを統率し、いずれの犯行においても、計画から実行段階に至るまで中心的指導的役割を果たしたものである」と判示し、〈2〉「主要な争点に対する当裁判所の判断」の第三「共同正犯の成否」の項において、被告人が実行行為に関与していない原判示第三の一(手形山ダイナマイト窃取事件)、同第四の二ないし四(いわゆる連続交番爆破事件)及び同第五(仙台国見米軍通信所爆破事件)における各共謀共同正犯の成立に関し、順次、「被告人は、実行行為を担当しなかつたものの、本件犯行に関与したことは明らかであり、それも、熊谷ら四名との間で謀議を遂げたうえ、共同意思のもとに本件を実現したのであるから、共同正犯としての刑責を免れないといわなければならない」、「被告人は、(中略)実行行為を担当しなかつたものの、熊谷及び菊池、西巻及び高橋、監物及び梶原との間でそれぞれ意思相通じたうえ、共同意思のもとに本件各犯行を実現したことは明らかであり、共同正犯としての刑責を免れないというべきである」、「被告人は、実行行為を担当しなかつたものの、熊谷、鎌田克己、監物、高橋及び梶原との間で謀議を遂げたうえ、共同意思のもとに本件犯行を実現したことが明らかである」などと判示しているが、右各判示は、証拠の評価を誤り、もつて事実を誤認したものであることが明らかである、というのである。

すなわち、論旨によれば、被告人らのグループは、「鎌田グループ」と呼称されるような統一的・継続的な組織ではなく、各人がそれぞれの思いと目的の下に各個別の闘争ごとに結合した自立した個人の集合体であつて、そこには組織も規律も綱領もリーダーもなく、ただ自立した各個人とその個人によつてなされた闘争があるのみであり、それは、人間が集団化すると同時に不可避的に存在する組織という桎梏を遥かに超越するものであり、過去の左翼の歴史の中に全く存しなかつたもの、左翼運動の既成概念の域を越えるものであるというのである。

(二) ところで、論旨は、さきに引用した原判文を総括して、「原判決は、被告人らのグループが同人によつて爆弾闘争の遂行という確固たる目的のもとに統一され統率された組織であるとの大前提の下に、本件各公訴事実たる各爆弾闘争及びこれに関連する犯行がいずれも右組織によつて組織的・計画的に挙行されたものであるとの小前提を介して、被告人がそのリーダーであることをもつて右組織が挙行したすべての公訴事実につき主犯たる正犯として刑責を負うと結論するのである」と主張するが(弁一五頁)、これが原判文を正当に理解したものといえないことは明らかである。

すなわち、ある組織のリーダーであるという事実から、当該組織の犯したすべての犯行につき正犯としての刑責を負うなどという法理はあり得べくもなく、原判決はもとよりそのような不合理な判断を示すものではない。原判決は、当然のことながら、まず、所論が前記〈2〉に引用する個々の罪となるべき事実につき、関係証拠を摘示しつつ、被告人の当該犯行への関与の有無、程度、態様等を仔細に検討したうえ、各事実につきそれぞれ被告人に共謀共同正犯としての刑責のあることを肯認し、然るのち、これと、その余の犯罪事実及び原判示犯行に至る経緯等を総合して、所論が前記〈1〉に引用するような評価を量刑の事情として説示しているに過ぎず、これと逆に、原判決が前記〈1〉の認定を前提として前記〈2〉の結論を導いたかのようにいう所論は、ことさらに原判決の構成、判断順序を転倒させるものにほかならない。

(三) そうすると、残された問題は、前記〈1〉、〈2〉の説示に、個別的に事実の誤認が存するか否かという点である。

然るところ、前記〈1〉の点は、量刑の事情として説示されたものであるから、この点の誤認をいう所論は、その実質において量刑不当の主張に帰する。また、前記〈2〉の点は、個々の具体的事実についての共謀の存否の問題であるから、後記各論において、それぞれの事実ごとに検討するのが相当である。その際、問題となるのは、個々の犯罪行為に関し、被告人が、リーダーとしての立場でどのように関与し、加功したかということであつて、被告人がリーダーであるか否かということは、それ自体で共謀の成否を決すべき要素ではなく、右の判断をなすについての一つの間接事実であるに過ぎない。更に付言すれば、前記量刑の事情としても、リーダーであることそれ自体よりは、リーダーとしての立場においてどのような行為に出たかが重視されるのであつて、原判決も、被告人がリーダーとして組織を統率し、計画から実行段階に至るまで中心的指導的役割を果たしたことをとくに指摘しているのである。被告人がグループのリーダーであつたか否かということは、本件の事実認定及び量刑上、右のような視点から、かつ、その限度においてのみ、問題となり得るに過ぎないのである。

(四) 以上の点に留意しつつ、被告人らのグループの実態とそのグループ内における被告人の地位につき考察すると、被告人らのグループが厳しい階層的秩序や教条主義的綱領に束縛されない、比較的自由な集団であつたことは所論のとおりであり、赤軍派の青砥幹夫(以下、関係者の氏名については、初出時のみフルネームを用い、再出時以降は姓のみを示す。但し、鎌田克己については、被告人との混同を避けるため、「克己」と呼ぶこととする。)などは、これを「サークル的」体質とみなしていたことが窺われる。しかし、右集団は、その構成員の出身母体がさまざまであり、各人の政治路線などにニユアンスの差異があるにもかかわらず、相互の思想信条に共鳴する点を見出し、権力に対する武装闘争という共通の目的の下に結集した組織体であると認めるのが相当であつて、その組織性に緩やかなところが見られるとはいえ、全く組織性を有しない単なる人の集団ないし群衆(たとえば、偶々同一の車両に乗り合せた乗客や店舗内の買物客など)とは、その本質を異にするものであることが明らかである。

被告人らのグループは、もともと高円寺地区で民青の活動をしていた被告人が昭和四二年一〇月八日の羽田闘争に刺戟を受け、民青を脱けて、日本社会事業大学の学生である井上由美子、古堅千賀子らと始めたフエニツクス読書会に端を発しているのであり、当時のメンバーとしては、法政大学の佐々木平、村戸豊や日大三高の栗橋猛夫らが居たが、同四三年一〇月二一日の新宿駅騒擾事件や東大紛争に参加し、同四四年には実弟鎌田克己の入学した法政大学で、同大全共闘の行つたバリケード封鎖に参加するなどの活動をする傍ら、同年夏ころからは、被告人の在学する東洋大学においても勉強会を始め、鈴木正行、和田正雄、宮本幸枝、亀川行子等のメンバーを加えることとなつた。その後、被告人らのグループは、法政大学、東洋大学における学園紛争から、光文社における労働争議への支援、三菱重工下丸子工場からの相模原工場への戦車工程移転阻止闘争などへ次々と関わつていくのであるが、西巻幸作が被告人を知つたのは昭和四四、五年ころにおける法政大学紛争の際であり、西巻と同じセクトに属していた大杉こと菊池廣が西巻と再会し、被告人らのグループに入つて来たのは同四六年四月である。また、新劇人反戦グループ(以下、「新反」ということがある。)に属する吉本昇、増山眞吾、監物今朝雄、梶原譲二、野島ひろみ、越後美登里らが、被告人らのグループと行動をともにするようになつたのは、全都反軍産連絡会議による前記戦車工程移転阻止闘争(昭和四五年)の際である。そして、東洋大学の反軍産闘争委員会で救対関係を担当していた西山正一が被告人と知り合うのもこの時期である(なお、同大学で西山と同じサークルに居た沼知義孝が、西山の紹介で被告人らのグループに加わつたのは、同四六年一一月ころである。)。被告人らは、右反軍産闘争が警察機動隊の圧倒的な壁に阻まれて敗北に終つたものと総括し、機動隊政治打破のための武装闘争を志向するようになつて行くのであるが、右反軍産闘争の終焉を契機に秋田に帰つた克己が、同地で独自に活動していた熊谷信幹、高橋進らと知り合い、これを被告人に紹介し、グループに加わらせている。そして、これらのうち主要なメンバー(逮捕中の菊池、梶原、未加入の沼知を除く。)が一堂に会することとなつたのは、被告人の発意で、同四六年八月下旬に秋田県鳥海山麓の小砂川海岸で行つた合宿(以下「小砂川合宿」という。)の機会においてである。

このように、本件の共犯者である西巻、菊池、熊谷、高橋、克己、監物、梶原、沼知らは、いずれも被告人らのグループに後から加わつて来たものであり、また、年齢層においても、昭和二二年から同二七年生まれであつて、グループの創始者であり、昭和一八年生まれの最年長者でもある被告人が、グループの中心的存在となるのは自然の勢いである。そして、実際、被告人は、赤軍派の青砥など外部の者に対する折衝、内部における東京グループ、秋田グループ、新反グループ相互間及び共犯者以外のメンバーである古堅、栗橋らとの間の連絡の任に当たり、また、メンバーを招集し、議題を提起し、討論の結果を取り纒めるなどの役割を果たしているのであつて、もとより厳格な上命下服の関係に立つ指揮、監督、命令などの権限はないにせよ、対外的、対内的にそれなりに重きをなしていたことが窺われ、リーダーと呼ぶにふさわしい実質を備えていたものと認めるのが相当である。被告人がリーダーであることは、被告人を含め、関係者が捜査段階において認めているばかりでなく、原審公判段階においても、西巻は、グループのリーダーは鎌田さんである旨(第一九回)、監物は、被告人は皆が集まるといつも司会役で話を進行して、変な所へ向かつて行くとそれを修正していくような役割を果たしていた旨(第二三回)、沼知は、皆は被告人のことを鎌田さんとか兄貴とか呼んでいた旨(証人尋問調書)、熊谷は、小砂川合宿の際、新反のリーダーは増山、被告人らのグループのリーダーは被告人と感じた旨(第二六回)、克己は、兄は当時の理論家だし、物事を冷静に判断していたし、リーダーと言われるなら、そういう風格は自然とにじみ出ていたと思う旨(第三二回)、それぞれ供述しているのである。

もつとも、菊池は、昭和五七年一〇月一五日の証人尋問期日において、同四六年一〇月中頃亀川方において行われたいわゆる連続交番爆破事件の謀議に関連して、被告人は、集まつたメンバーである秋田グループ、新反グループ、東京グループを皆知つていたし、年長だし、場所も提供しているので、皆何となく被告人をリーダーと思つていたかも知れないが、自分としてはそう思つていなかつた、リーダーを誰にするかを決めたのは、同年一一月に小千谷に行つたときで、そのとき被告人をリーダーと決めた旨、他の関係者とは若干ニユアンスを異にする供述をしている。

更に、菊池は、当審第三回公判期日において、被告人らのグループは、個人が自分のやりたい闘争をやるために集まつた集団であつて、綱領もなく、構成員間の文章化された規約はもとより全員の話し合いで一致した規約も具えておらず、組織とは認識していなかつた、昭和四六年一一月に迫撃砲の実験をするため小千谷に行つた際、監物が、菊池に対し、このままでは皆ばらばらだから少し組織的な体制を整えるために構成員間に序列を決めた方がいいんじやないか、被告人を名目上一番上にして、実質上自分(監物)と熊谷でやつていきたいと雑談的に持ちかけたことがあるが、菊池としては反対だつたし、熊谷も同意見だつたので、その話はそれで終つてしまい、監物は仙台国見の闘争後はグループから脱けて行つた旨供述している。

しかし、被告人らのグループは、菊池がかつて所属していた共産同マル戦の前衛派などと比較すれば、組織性が緩やかであつたことは認められるが、綱領や規約が整つていないからといつて組織性がないといえないことは先に述べたとおりであり、また、監物の提案については、次のような事情のあつたことが窺われる。すなわち、被告人の原審第四三回公判期日における供述によれば、仙台国見の米軍通信所の爆破については、これを推進しようとする監物、熊谷と強硬に反対を唱える西巻、菊池との間に確執を生じていたのであるが、監物、熊谷が沼袋の被告人方を訪れ、監物から被告人に対し、新劇人反戦の吉本はもう反軍産闘争から引退しているので、年齢的に吉本に近い被告人もそろそろ引退してくれ、これから自分と熊谷でグループを指導して行くとともに、梶原を一つのテコにして新反も吸収して行くと申し入れたので非常に憤慨した、というのである。これは、一見監物らによる組織の乗つ取りか奪権闘争のように見えるが、その真意は、被告人が西巻、菊池らの主張に同調して仙台国見の闘争の中止を命ずるのを牽制するにあつたものと認められ、被告人から右闘争を阻止しない旨言明されるや、監物らはそれで納得しているのである。従つて、右のような経緯があるからといつて、被告人らのグループがリーダーのない組織であつたとか、被告人がリーダーでなかつたということにはならないのであつて、菊池の原審証人尋問期日及び当審公判期日における各供述は、被告人がグループのリーダーであつたことを認める妨げとなるものではない(ちなみに、所論(弁六九頁)は、原審証人尋問期日における受命裁判官の発言(供述群第一六冊四八一七丁)を一部引用して、被告人がリーダーでないことは原裁判所自身も認めている旨主張するが、右発言部分は、全くの仮定論として述べられたものであつて、受命裁判官ないし原裁判所の認識ないし心証を示したものでないことは明白である。)。

以上のとおりであつて、被告人をグループのリーダーであると認定した原判決に所論の誤認はない。

2  被告人らのグループと赤軍派との関係-「黄河作戦」の実在性(弁護人らの控訴趣意第一の三)

(一) 論旨は、要するに、原判決は、その「犯行に至る経緯」の項の末段において、前記小砂川合宿に触れ、「被告人のグループを赤軍派に勧誘する目的でこの合宿に現れた青砥から、赤軍派が成田市の新東京国際空港の建設阻止をもくろむ三里塚闘争において、同年九月中旬に、三里塚の現地や東京都内で、機動隊や警察施設に爆弾を投擲して警察官らを殲滅するという黄河作戦(被告人らはこれを紅河作戦と理解していた。以下略)を行う予定であると聞かされるとともに、この作戦に参加するように求められ、被告人らとしては、赤軍派に加入する意思はなかつたものの、黄河作戦における爆弾闘争についてはこれに同調する気持を抱いた」旨説示し、「罪となるべき事実」第一の古堅方爆弾製造事件につき、「赤軍派が黄河作戦で警察官を殺傷するために用いる爆弾であることを認識しながら、これを製造しようと企て」云々と、また、同第二の高円寺駅前交番爆破事件につき、「黄河作戦に呼応して、警視庁杉並警察署高円寺駅前派出所に爆弾を仕掛けて爆発させることとし」云々とそれぞれ判示し、黄河作戦の存在とこれに対する被告人らのグループの呼応とを前提に、そこから右各事件における「人ノ身体財産ヲ害セントスルノ目的」の存在を演繹しているのであるが(その結論は、同第四のいわゆる連続交番爆破事件や同第六の追分交番爆破事件に及ぶ。)、右「黄河作戦」なるものは、青砥において、被告人らをはじめとする爆弾闘争を志向する活動家を赤軍派にオルグするための方便として創作した全くの虚構であり、もとより被告人らのグループはかかる架空の作戦に呼応して爆弾闘争をしたものではないから、原判決の前示認定は証拠の評価を誤り、事実を誤認したものであるというのである。

(二) まず、所論事実誤認の主張の及ぶ範囲について考察すると、原判示第一の古堅方爆弾製造事件においては、原判決は、被告人らのグループがその製造にかかる爆弾を自ら使用する意図はなく、これを「赤軍派が黄河作戦で警察官を殺傷するために用いる」ものであると認識して製造したものと認定しているのであるから、仮りに所論のとおり「黄河作戦」が架空のものであつて、赤軍派に右爆弾を使用する意図がなく、かつ、被告人らもそのことを知つていたものとすれば、被告人らには「治安ヲ妨ケ又ハ人ノ身体財産ヲ害セントスルノ目的」も、右目的に導かれた共謀も存在しないこととなり、犯罪の成立そのものが阻却されることとなるのに対し、同第二の高円寺駅前交番爆破事件においては、「黄河作戦に呼応して」云々の原判示事実は、爆発物使用罪の構成要件をなす事実ではなく、犯行の動機を示すものに過ぎないのであつて、所論は、結局犯罪の情状すなわち量刑の事情に関する誤認をいうに帰する。けだし、「黄河作戦に呼応して」爆弾闘争に出たとしても、その手段、方法はさまざまであり得るから、そのことから直ちに身体加害目的があつたものといえないのは当然であつて、右目的の存在は、原判決が説示しているように、他の間接事実や証拠によつて認定するほかないのであり、黄河作戦に呼応したか否かは犯罪の目的の有無には関係のない、単なる犯行動機を示すものと解すべきであるからである。

そして、原判決によれば、原判示第四のいわゆる連続交番爆破事件については、「同月(注、昭和四六年一〇月を指す。)二一日の国際反戦デーにおける闘争に呼応して、都内の警察施設合計四か所に爆弾を仕掛けて一斉に爆発させることとし」たものと、同第六の追分交番爆破事件については、「爆弾事件の頻発によつて厳重になつていた警察の警備態勢を打破して武装闘争派の健在と力を誇示するため、クリスマス・イヴの夕方に警視庁四谷警察署追分派出所に爆弾を仕掛けて爆発させることとし」たものと、それぞれ判示されているのであつて、黄河作戦に呼応することは、犯行動機としてすら認定されていないのである(被告人の検察官に対する昭和五五年五月七日付供述調書第一八項ないし第二〇項には、私の理解していた紅河作戦とは、革命戦争に至るまでの長い闘いの名称であると思つていた、人民の中に太く長い赤い河の流れを作つて行くんだという意味のものであつた、革命戦争に至る紅河作戦の流れの中で昭和四六年一二月二四日のクリスマスツリー爆弾に至るまでの爆弾闘争を行つて来たなどの供述記載があるが、原判決は、そのような認定はしていない。)。

以上のとおりであつて、黄河作戦の存否及びこれに対する被告人らのグループの対応を争う所論は、結局、原判示第一の古堅方爆弾製造事件における犯罪目的及び共謀の不存在並びに同第二の高円寺駅前交番爆破事件における犯行動機に関する誤認を主張する(後者は、実質において量刑不当の主張に当たる。)に帰するものというべきである。

(三) ところで、所論は、原審で取り調べられた証拠のうち、黄河作戦の実態に関する積極証拠は、被告人熊谷信幹に対する爆発物取締罰則違反等被告事件における証人青砥幹夫の尋問調書(以下「青砥の東京調書」という。)及び青砥に対する判決書しかなく、後者は伝聞意見に過ぎないからこれを除外すると、結局、黄河作戦の実在性如何は、青砥の東京調書中における供述の信用性にかかることとなるが、右供述は、黄河作戦のもう一方の責任者である雪野健作の供述とも、同作戦の赤軍派の直轄部隊員として指名された木山こと橋野高明並びに同人及び冨澤正隆に対する一・二審判決の認定事実とも根本的にくいちがつており、内容的にも明白な虚偽を含むものであるのみならず、被告人らのグループの者が青砥から聞いている黄河作戦の内容とも全く異つているのであつて、このように、時期や場所、相手方を異にする都度、その内容が区々に変転すること自体、黄河作戦が全く架空のものであつて、関西革命戦線や被告人らのグループに対するオルグ活動のための方便に過ぎないことの証左というべく、右供述の信用性は否定されるべきである、と主張する。

そこで、まず、青砥の東京調書につき検討すると、その黄河作戦に関する供述の要旨は、

〈1〉 赤軍派には、中央軍と革命戦線(略称RF)という組織があつたが、青砥は、昭和四六年三月初ころ、臨時指導部の決定により革命戦線に配置され、そのサブキヤツプとなつた、当時のキヤツプは高田英世であつたが、同人は、同年四月末ころ、中央軍の一部隊の隊長に転出し、その後は、赤軍派全体の指導者である森恒夫が革命戦線のキヤツプをも兼ねることとなつたが、青砥が実質的なキヤツプとして活動するようになつた、

〈2〉 赤軍派と、日共革命左派神奈川県委員会(以下「革左」という。)及びその大衆組織である京浜安保共闘(その実体は、革左と同一である。)とは、同年七月一五日付で連合赤軍を結成し、総指令部(赤軍派の森、革左の永田洋子、坂口弘の三名で構成)、組織部(赤軍派は青砥、革左は雪野がそれぞれ責任者となる。)、政治宣伝部などの部局を置き、軍のメンバーの交流などがあつたが、実際に両者が単一の組織となつたのは同年一二月以降のことであつて、それ以前は二つの組織の連合体に過ぎなかつた、

〈3〉 組織部の任務は、将来作るべき単一の連合赤軍のため、軍を支援する統一戦線を形成するにあつたのであるが、その具体的構想については、構成員により、重点の置き方に差異があり、青砥は、当面できる限りの武装闘争をやるため共同綱領のようなものを作り、その下に統一戦線を作ることを考えていたのに対し、雪野は、軍の闘いが基本であるから軍に入隊する者を見つけることに重点を置いており、そのような対立は森が調整することになつていた、

〈4〉 同年七、八月ころ、西丹沢で組織部の会合が開かれ、赤軍派から青砥、山田孝、行方正時、遠山美枝子、革左から雪野、川島陽子らが出席したが、席上、三里塚闘争に焦点を合わせて、軍でない大衆部隊が同時多発的に警察施設に対して爆弾闘争を展開することによつて統一戦線、ゲリラ戦線を作つて行くことを策定し、青砥の提案でこれを「黄河作戦」と呼ぶこととした、

〈5〉 その具体的方策として、革左の側において、三里塚現地に常駐している黒ヘルグループで革左とコネクションのあるものに働きかけ爆弾闘争を行わせる一方、赤軍派の側において、革命戦線の中から選抜した直轄部隊及び黒ヘルグループである梅内恒夫のグループや被告人らのグループと連絡して東京都内で警察施設に対する爆弾闘争を展開するという分担が定められたが、同年八月二一日に雪野が逮捕され、後継者の川島では三里塚の黒ヘルグループと連絡できないので、革左の側の計画は実現できなくなり、赤軍派の側で三里塚の現地に直轄部隊を派遣することも考えたが、時期的に最早現地に潜入するということは困難と判断して断念した、また、梅内のグループとは八月半ころの接触を最後に連絡が取れなくなり、黄河作戦の話を伝えることができなかつた、

〈6〉 そこで、青砥は、被告人らのグループが実施した前記小砂川合宿に参加し、爆弾闘争の意義を説き、三里塚闘争に向けた闘いを準備しようと呼びかけ、黄河作戦の内容を説明したうえ、都内に戻つてからも被告人と接触を続け、同年九月一〇日前後ころ、被告人らのグループとともに古堅方において鉄パイプ爆弾二個を製造し、爆弾製造の材料を交付する一方、関西革命戦線から橋野、冨澤を上京させ、行方を隊長として都内で交番に対する爆弾闘争を行うよう指示し、古堅方で製造した鉄パイプ爆弾二個を行方に渡して使用させようとしたが、橋野、冨澤の両名が立てた計画が杜撰で所期の成果を挙げられないと思われたことなどから、その作戦を中止するに至つた、

というのである。

なお、当審において取り調べた被告人橋野高明、同冨澤正隆に対する爆発物取締罰則違反等被告事件における証人青砥幹夫の尋問調書(以下「青砥の神戸調書」という。)中における同人の供述は、連合赤軍の総指令部の構成員が異つており、また、黄河作戦を策定した組織部の第二回の会合のときは山田は居なかつたように思うと述べており、更に、小砂川合宿の件については触れていないなどの点において青砥の東京調書と若干の異同はあるが、その大綱はこれと同趣旨である。

以上によれば、黄河作戦は、連合赤軍の組織部において赤軍派と革左とが合意した作戦計画であつて、種々の障害から計画どおりの実現は見なかつたものであるが、当初から存在しない架空の作戦であるとか、黒ヘルグループ等をオルグするための単なる方便に過ぎないものであるとはいい得ないこととなる。

(四) これに対し、当審第一回公判期日における証人雪野健作の証言は、一見、青砥の供述と大巾に異なるかの如くであるが、その内容を仔細に吟味すると必ずしもこれと矛盾するものではなく、むしろ大綱において青砥の供述を裏付けるものといい得るのである。

すなわち、雪野の供述によれば、赤軍派と革左の組織部の会合は、昭和四六年八月四日富士山麓本栖湖のキヤンプ場におけるものと、同月一八日から一九日にかけて丹沢の革左の野営地におけるものとがあつた(そのほか、同月中旬かそれ以前に都内で青砥と会つたことがある)というのであるが、前記青砥の供述と対比してみると、会合の場所が西丹沢とされていること、組織部の二回目の会合と述べていること、革左との意見の対立を森が調整したと述べていることなどに照らし、青砥の供述している組織部の会合というのは、雪野のいう同月一八、一九日の丹沢における会合を指すものであることが明らかである。これに対し、雪野の黄河作戦に関する供述は、殆ど同月四日の会合に関するものばかりであつて、同月一八、一九日の会合では、黄河作戦のことが議題になつたことすら記憶が定かでないというのである。

青砥の神戸調書中の供述によれば、組織部内には、赤軍派の大衆統一戦線重視主義と革左の軍中心主義との対立があつたが、森がこれを調整し、二回目の会合で両方の性格を持つことに妥協し、その妥協の上に黄河作戦が生まれたので、二つの目的を持つ曖昧なものとなつたというのであるが、青砥は二回目の会合における黄河作戦について述べ、雪野は一回目の会合におけるそれについて述べているので、その内容がくいちがうように見えるのは当然である。

雪野は、二回目の会合における黄河作戦についての議論を記憶していないというが、いささか不自然であつて、被告人の不利益となる供述をすることを回避している疑いがある。たしかに、雪野は、二回目の会合の直後である同月二一日に逮捕されており、黄河作戦の実施面に全く関与していないのみならず、逮捕後の取調べにおいても、その後の公判においても、黄河作戦が問題とされたことはなかつたというのであるから、一五年を経過した現時点で、その記憶が薄れていることは止むを得ないところであるが、同人は、同月四日の会合の内容については比較的詳細に供述しており、また、同月一八、一九日の会合についても、一旦本栖湖で落ち合つた後霧の中を車で丹沢に向かつたことや、丹沢で、妊娠中の金子みちよが山の中で子供を生んで育てることに革左の合意があつたこと、これに対する赤軍派の山田の発言などを断片的に記憶しているというのであつて、組織部の責任者として最も重要な黄河作戦のことを全く記憶していないというのは不合理である。そして、雪野自身、記憶はないとしながら、一回目の会合で黄河作戦の構想について合意はあつた訳だから、二回目の会合においてその構想につき青砥と話し合う必然性はあつた、当然話し合つて然るべきだと思う、微妙な違いについて森が調整したということも、ありそうな話だと思う旨供述しているのであつて、その限度においてではあるが、青砥の前記供述を裏付けているのである。また、黄河作戦の内容についても、三里塚闘争を直接念頭において闘争を呼びかけるということはなかつたとしながら、闘争の場としても当然三里塚が可能性の一部として含まれること、三里塚に常駐している黒ヘルグループの中に大槻節子を介して革左が連絡を取れるものがあつたことは認めており、黒ヘルグループの行う闘争としては、火炎びんやその他の破壊活動もあり得るとしながらも、爆弾闘争も当然含まれるとしているのであつて、青砥の供述と矛盾するものではない。

以上のとおり、雪野の当審供述は、いまだ青砥の供述の信用性に疑いを抱かせるに由ないものというべきである。

(五) 次ぎに、当審第一回公判期日における証人橋野高明の証言によれば、同人が冨澤正隆とともに昭和四六年九月に上京した際、青砥から行方を隊長として都内で交番に対する爆弾闘争を実行するよう指示されたが、当時その闘争が黄河作戦の一環であるということは一切聞いていない、黄河作戦という言葉は、神戸地方裁判所における橋野、冨澤に対する爆発物取締罰則違反等被告事件の公判において、立会検察官から聞いたのが初めてであるというのであるが、両名が、同年九月一四日の千駄ケ谷公会堂における連合赤軍の結成大会に出席し、そのまま三里塚の現地へ入つて爆弾闘争をする目的でクサトール、黄血塩、砂糖等の材料を準備して右大会の二、三日前に上京したところ、青砥から代執行の日が迫つていて今から爆弾などを持つて三里塚に潜入することは困難であるとして都内での交番に対する爆弾の投げ込み闘争を指示され、行方を隊長として種々準備をしたが、結局中止するに至つた経緯に関しては、橋野の供述内容は青砥の神戸調書と一致しているのである。そして、橋野、冨澤は赤軍派の革命戦線関西地方委員会(略称関西F)に所属するものであり、革命戦線のサブキヤツプである青砥としては、外部の黒ヘルグループに対し黄河作戦への協力を呼びかける場合とは異なり、両名に対し具体的な闘争を指示すれば足り、その闘争の作戦名まで教示する必要のなかつたことを考慮すると、当時、青砥らが両名に対し黄河作戦という言葉を口にしなかつたとしても異とするに足りず、そのことの故に黄河作戦が架空のものであつたということはできない。むしろ、ここで重要なのは、青砥が、結果的には中止の止むなきに至つたとはいえ、関西Fから選抜した直轄部隊によつて都内の交番に爆弾闘争を行うという構想を実現に移そうと試みていることであり、被告人らのグループへの働きかけと相まつて、赤軍派が黄河作戦を現実のものとして実行する意図のあつたことが窺われることである。

橋野はまた、青砥は、同月一七日の高円寺駅前交番爆破事件について、あれは我々(赤軍派中央軍)がやつたと言い、同年一〇月二三日のいわゆる連続交番爆破事件についても、あれも我々がやつたんだと言つていたと供述しているが、青砥の右発言が虚偽であることは明らかである。しかし、赤軍派中央と関西Fとの間には厳しい路線の対立があり、橋野らは、青砥や行方の爆弾闘争の指示に対しても、面従腹背の曖昧な態度に終始し、遂に作戦中止の止むなきに至つたため、橋野らのやる気のなさに苛立ちを覚えた青砥が、関西Fのだらしなさと対比して中央の実力を誇示する意図でかかる虚言を弄したものとも解されるところであつて、このことから、黄河作戦そのものが架空のものであつたということはできない。

更に、橋野は、交番に対する爆弾闘争は最終的な目的ではなく、同人らを中央軍に引き入れる手段ではないかと思つたと供述しているが、もともと黄河作戦には統一戦線の結成と軍の要員確保(準軍)という二つの目的が混在しており、後になつて、森から後者に重点を置くよう指示がなされていたのであるから、(青砥の東京調書)、中央軍への入隊勧誘があつたからといつて、爆弾闘争そのものが単なる口実であつたことにはならないのである。橋野自身、爆弾闘争は話の方便かという問いに対し、「方便、そこまで冗談でもないですけれども、やれりやあ、やつてもらつたら、ばんばんざい、やれなかつたらやれなかつたでハンデイをこちらが背負うわけですから余計引き入れやすいと。」と、単なる方便であることを否定しているのである。

以上のとおり、橋野の当審供述もまた、黄河作戦の実在性に疑いを抱かせるものではない。

(六) 所論は、被告人らのグループの黄河作戦についての認識は、いずれも赤軍派が三里塚で銃を中心にした機動隊との殲滅戦を行うことを内容とするものであつて、大衆部隊による都内での爆弾闘争という青砥の供述とは全く異つており、このように、黄河作戦の内容が時期や相手方により全く異つたものになるということは、まさにそれが架空のものであることの何よりの証左であると主張する(弁一〇四―一〇六頁)。

しかし、青砥の東京調書によれば、〈イ〉当時、赤軍派内では、軍の行う銃による殲滅戦を通した建軍建党の方針が定着していた、〈ロ〉昭和四六年六月一七日の明治公園における闘争で初めて爆弾を使用したが、これは軍ではなく、革命戦線の森や青砥が行つたものである、〈ハ〉明治公園の闘争については、森が総括を行い、爆弾は投げてしまえば後は自分でコントロールできず、無政府的結果を招きがちであり、組織の力量を高める手段とはなり難いとして、今後爆弾闘争を行うことには消極的であつた、〈ニ〉の黄河作戦に限つて爆弾闘争を行うこととしたのは、第一に、この闘いが大衆戦線の中に持ち込むべき闘いである以上、手軽な闘争手段が望ましいこと、第二に、それにもかかわらず、革命戦争を意識的にやり抜くという組織性を身につけるには、殲滅戦の思想が必要であるが、爆弾闘争でも、それは敵の居る所に投げ込むということによつて可能であることによる、〈ホ〉銃は、半公然部隊が使うべき武器ではなく、三里塚は銃撃戦に不適当な場所なので、黄河作戦の内容として、三里塚で銃を使用することはない、〈ヘ〉小砂川合宿では、赤軍派の闘いを説明するには、銃撃戦の説明をしなければならないので、第一にそれを言つていると思うのである。してみると、被告人らのグループは、銃による殲滅戦を第一に考える赤軍派の原則的立場と黄河作戦の具体的内容とを混同して聞いたか、あるいは、記憶の中で両者が混同するに至つたものとも考えられるのであつて、そのことから、黄河作戦が架空のものであつたということはできない。

(七) 以上のとおり、「黄河作戦が弁護人の主張するような現実性・具体性のない架空の作戦でなかつたことは明らかである」とした原判決の事実認定に所論の誤認はない。

二  各論

1  古堅方爆弾製造事件(弁護人らの控訴趣意第二の一の1、被告人の控訴趣意二)

<原判示第一事実の要旨>

被告人は、熊谷、西巻、監物及び青砥と共謀のうえ、昭和四六年九月一〇日前後ころ二日間に亘り、原判示矢口二丁目アパート一六号棟一〇一二号室の古堅方において、赤軍派が黄河作戦で警察官を殺傷するために用いる爆弾であることを認識しながら、治安妨害及び人の身体財産加害の目的をもつて、原判示鉄パイプ爆弾二個を作り、もつて爆発物を製造した。

(一) 各論旨は、その根拠とするところは多岐に亘るが、要するに、被告人らが原判示爆弾を作つた際には、赤軍派がこれを黄河作戦(被告人の控訴趣意書では「紅河作戦」。以下同じ。)で警察官を殺傷するために用いるものであることの認識がなく、従つて、その製造に当たり、治安妨害及び人の身体財産加害の目的を欠いていたのであり、もとより右の目的に基づく共謀も存在しなかつたとして、原判決の事実誤認、被告人の無罪を主張するものである。

しかしながら、原判決の挙示する関係証拠を総合すれば、原判示事実は、各所論の争う点をも含め、優に肯認するに足りるのであつて、その他記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討しても、原判決に各所論の事実誤認があるものとは認められない。以下、各所論に鑑み、その論拠とする諸点についての考察を敷衍する。

(二) 弁護人らの論旨は、まず、原判決が、被告人らに身体加害目的の存したことを論証するために掲げる諸事項(原判決の「主要な争点に対する当裁判所の判断」と題する項の第二の一参照)のうち、黄河作戦の現実性・具体性を前提とするものは、いずれもその前提を欠くものであるから、原判示認定の根拠とはなし得ないと主張する(弁一一五-一一六頁)。

しかし、黄河作戦が、青砥において、被告人らのグループその他を赤軍派に誘致するために創作した、架空の存在とは認められないことについては、さきに総論の2において説示したとおりであるから、これと相容れない右の主張は採用の限りでない。

(三) 右の点に関連して、被告人の論旨は、赤軍派のいう「殲滅戦」とは、彼らが六・一七の明治公園における爆弾闘争を「目的意識的闘い」でないと否定的に総括していることからも明らかなように、警察官の殺傷のみを目的とする単なるテロリズムではなく、警察官からの武器奪取を第一の目的とし、銃で武装した「革命の軍隊」を創設する建党・建軍の闘いと位置付けられていたのであり、それ故赤軍派は、右目的と相容れない爆弾闘争から召還し、銃を基軸とした連合赤軍への道を歩むこととなるのであつて、時限装置による警察施設の物理的破壊という、より政治的に高度な「プロパガンダ闘争」を志向していた被告人らのグループが、大衆的反発を招き易く、政治的にダメージとなる流血の「殲滅戦」に同調したことはなく、従つて、原判決の「青砥から、赤軍派が三里塚闘争で手投げ式爆弾を機動隊や警察施設に投擲して警察官を殲滅するという黄河作戦を行う旨聞かされた際、これに同調する気持を抱いていた」との認定は全く事実に反する、というのである(被五-一〇頁)。

しかし、右主張は、赤軍派における「軍」の闘いと革命戦線直轄部隊や黒ヘルグループを含む大衆戦線の闘いとを混同するものであり、また、「殲滅戦」の意義についても、原判決と異る独自の解釈に立脚するものといわざるを得ない。

すなわち、赤軍派が、「銃砲から国家権力が生まれる」とする革左の遊撃戦争論に近接した銃を基軸とする建軍・建党路線を志向し、爆弾闘争に消極的であつたことは所論のとおりであるが、それは、あくまで赤軍派の中心となるべき「軍」の闘いに関する方針であつて、「軍」ではない大衆戦線の中で展開される黄河作戦に適用されるものではない。黄河作戦に限つて爆弾闘争を行うこととした理由については、さきに総論の2において説示したとおりである(総論2の(六)参照)。そして、赤軍派が、「殲滅戦」という用語を、敵を皆殺しにして全滅させるという本来の意義とはかけ離れた意味に用いていることは認められるが、それは、関係証拠から窺い得る限りでは、所論のいうように、警察官を倒してその武器を奪取するという意味ではなく、相手側と面と向き合つて対峙した形で相手側を倒す、その戦闘能力を完全に奪うという意味(監物の第二三回公判廷供述など)であり、そう解してこそ、爆弾闘争は必ずしも「殲滅戦」の思想と矛盾するものではなく、やり方如何によつては、すなわち、時限装置などを用いることなく、警察官の居る所へ直接投げ込むことによつて、「殲滅戦」の目的を達し得るとする当時の赤軍派の立場(前同)が理解できるのである。そして、被告人らのグループが、青砥の勧誘に応じて、爆弾投げ込みなどの「殲滅戦」を自ら実行することまで決意したか否かはともかく、少くとも爆弾闘争である黄河作戦に「同調する気持を抱いていた」ものであることは、その後青砥とともに爆弾を製造するに至つている事実に照らしても明らかであり、この点の原判示に所論の誤認はない。

(四) 弁護人らの論旨は、次ぎに、原判決は、古堅方で製造した爆弾がいずれもダイナマイト約六〇グラムを充填した「手投げ式爆弾」であると認定し、これを身体加害目的を認める論拠の一つとしているのであるが、製造された爆弾はいずれも弾体部分のみで起爆装置を欠いており、それのみでは時限式にも手投げ式にもなり得るものであるから、これだけでは手投げ式と断定できないのであつて、時限式であるとすれば、その設置場所、設置時刻等の具体的認識が特定されなければ、身体加害目的を導き出すことはできないと主張する(弁一一六―一一八頁)。

しかし、本件各爆弾は、鉄パイプに充填されたダイナマイトの中に、雷管を挿入することができるように穴を開け、これが崩れないようボールペンやドライバーを差し込んでおいたものであつて、いつでも起爆装置を装着できるようにしたものであるところ、青砥は、前記「殲滅戦」の立場から、時限装置付きでは、いつ爆発するか分からないので一般人の怪我人が出るおそれがあり、自然発生的で目的意識的に組織された闘いにならないから駄目である、爆弾を手で投げ込んで警察官を五人や一〇人殺すつもりでやらなければならないと強調していたのであるから(西巻の第一九回公判廷供述など)、被告人らとしては、本件爆弾を赤軍派が使用する限り、手投げ式として使用するものであることは充分認識していたものと認められる。

なお、所論は、被告人は、小砂川合宿で、青砥から梅内の時限装置図を見せられていたのであるから、赤軍派が時限式を用いる可能性は充分あり得ると予想していたものである旨主張する(弁一一八頁)、たしかに、被告人が青砥に要求したのは時限装置の設計図であるが、合宿で青砥が渡したものを熊谷が検討したところ、地面に落ちると機械的なメカニズムで電気的スイツチが入り、コンデンサーに溜めておいた電流が流れて電気雷管が爆発するという触発式の起爆装置の図面であることが分かり(熊谷の第二八回公判廷供述)、そのことを被告人に説明したこと(被告人の第四〇回公判廷供述)が認められるから、所論はその前提において失当である。ちなみに、西巻は、古堅方における二日目に、青砥から、革左の雪野が書いたという図面を見せられたが、それもスイツチを入れてから若干時間が経過した後電流が流れて爆発が起こるという手投げ式のものであつて、厳密な意味での時限式ではなかつたと述べており(西巻の第二一回公判廷供述)、赤軍派が所論のいうような時限式爆弾を開発していたという証跡は全く窺われず、また、それは赤軍派の闘争方針とも相容れないものである。

(五) 論旨は、そこで、当時赤軍派には本件爆弾を自己使用する意図がなかつたものであると主張する(弁一一八-一二三頁)。

しかし、青砥は、二個の爆弾は赤軍派の部隊に黄河作戦をやらせるために持ち帰つた、当時、赤軍派の部隊編成は完成していなかつたが、行方を隊長とし、木山こと橋野、冨澤を隊員とするメンバーの選択は終つていたと述べており(青砥の東京調書)、そのことは、後日これを計画どおり実行に移そうと企てていることによつて裏書きされている。ただ、青砥は、そういうことは被告人らには言わなかつたと述べているので、被告人らが右事情を知つていたかどうかが問題となる。

然るところ、青砥は、古堅方で爆弾を製造するに当たり、使わない爆弾を趣味的にあるいはマニア的に作るべきではない、爆弾というのは使うために作るのだということを強調しているのであるから、現に製造している爆弾についても、単に作るだけでなく、実際に使用する目的で作つていることは容易に認識できるところであり、かつ、青砥は、これと併せて、黄河作戦を一緒にやろうと被告人らに慫慂しているのであるから、その使用目的が黄河作戦に関連するものであることも、見易い道理である。従つて、被告人らとしては、本件爆弾が黄河作戦のために実際に使用することを予定されたものであることを認識しつつ、これを製造したものと認めるのが相当である。

もつとも、黄河作戦で本件爆弾を使用する主体が誰であるかについては、若干微妙である(弁一二五頁参照)。青砥は、昭和四六年八月末に福島県の駒止にある阪東隊のアジトに行つた際、森から爆弾を作つて被告人らのグループに与えることの承認を受け、植垣康弘や山崎順から鉄パイプに溝を刻んだ外装二本やダイナマイト、雷管、導火線などの材料を受け取り、古堅方製造の用に供した、自分としては、被告人らのグループに渡す分と赤軍派で使う分と四本位作る心算であつたが、二本しかできなかつたので二本とも持ち帰つた、被告人らのグループに対するオルグの方法は、最初はその自主性を尊重して彼ら自身の闘いを我々が援助するということだったが、途中から森の指令で闘いのリーダーシツプを取らせてくれとか、絶対に警察官の居る所に投げ込むべきだという方向に指導したところ、それまでの反応は悪くなかつたのに、それ以降被告人は乗り気でない反応を示した、黄河作戦のためのオルグが成功すれば爆弾を置いていく心算だつたが、余り乗り気でないので持ち帰つた、できれば完成品を渡したかつたが、材料を与えることで納得させたなどと供述しており(青砥の東京調書)、製造した爆弾を被告人らのグループに与えて使用させるか、持ち帰つて赤軍派で使用するかは流動的であつたことが窺われる。しかしながら、被告人らのグループでは、監物が代々木署に投げ込むことを提案したりして、自ら使用する意図のあるような口吻も示してはいるが、大勢としては投げ込み方式には消極的態度を示していたのであるから、青砥において、本件爆弾は実際に使用するものであること、使用の方法は警察官の居る所へ投げ込むべきであることの二点に固執している以上、被告人らのグループが投げ込みに使用しない限り、赤軍派がこれを使用することになるのは当然の帰結であつて、本件爆弾を使うとすれば黄河作戦で赤軍派が使うんじやないかと判断していた旨の西巻の供述(第二一回公判廷)や、原判決の引用する被告人の捜査段階における供述は、その当然の認識を示すものということができる。

(六) 論旨は、更に、本件爆弾を赤軍派が使用することを予定していたとすれば、これをわざわざ製造技術の未熟な被告人らのグループの協力を得て製造するというのは不合理であつて、被告人らは製造技術取得目的に、青砥は被告人らのグループのオルグ目的に共同製造したものと考えてはじめて合理的な説明が成立し得ると主張するが(弁一二三-一二四頁)、所論のような目的が併存したとしても、それは赤軍派による使用目的を排除するものではないから、原判決に対する反論とはなり得ない。

(七) その他、縷々の所論はいずれも弁護人ら独自の論理と心証に基づくものであつて採るを得ず、被告人らが、赤軍派において本件爆弾を黄河作戦で警察官を殺傷するために用いるものであることの認識を有していたことは明らかであり、従つて、治安妨害及び人の身体財産加害の目的並びに右目的による爆発物製造の共謀の成立を肯認した原判決に所論の誤認はない。

2  高円寺駅前交番爆破事件(弁護人らの控訴趣意第二の二、被告人の控訴趣意三)

<原判示第二事実の要旨>

被告人は、

一  熊谷及び西巻と共謀のうえ、黄河作戦に呼応して爆弾闘争をしようと企て、昭和四六年九月一六日原判示みゆき荘の菊池方居室において、治安妨害及び人の身体財産加害の目的をもつて、原判示時限装置付き鉄パイプ爆弾一個を作り、もつて爆発物を製造し、

二  熊谷、西巻及び監物と共謀のうえ、同月一七日午後九時ころ、治安妨害及び人の身体財産加害の目的をもつて、右一の鉄パイプ爆弾一個を原判示警視庁杉並警察署高円寺駅前派出所休憩室西側の窓下側壁に近接した地面の上に置き、翌一八日午前二時五五分ころ同所においてこれを爆発させ、もつて爆発物を使用した。

(一)  各論旨は、要するに、〈1〉高円寺駅前交番の爆破は、被告人の唱導する「プロパガンダ闘争」の一環として行つたものであつて、これと対立する政治路線である「黄河作戦に呼応して」なしたものではなく(弁一三五-一三八頁、被一四-一六頁)、〈2〉プロパガンダ闘争は、警察施設の物理的破壊を目標とするものであつて、被告人らには警察官等に対する身体加害目的はなかつたのであるから(弁一三八-一五〇頁、被一六-一八頁)、これらの点を肯認した原判決には事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係証拠によれば、右の諸点に関する原判決の認定はいずれも相当として是認するに足り、所論の誤認があるものとは認められない。

(二)  まず、本件闘争が「黄河作戦に呼応して」なされたものであるか否かの点につき考察する(総論の2の(二)において指摘したとおり、この点の主張は、犯罪の成否そのものとは関係のない、犯行動機に関する誤認をいうものと解すべきである。)。

被告人らが企図し、実行したのは、時限装置を用いた交番の爆破であるから、青砥が黄河作戦の内容として要請した爆弾の投げ込みと態様を異にすることはいうまでもない。しかし、被告人らは、この闘争を三里塚における行政代執行の日程に合わせて企図しているのであり、これが三里塚闘争の一環であることを自認している(被告人の第四一回公判廷供述など)。そして、被告人らは、小砂川合宿から古堅方製造に至るまでの間、青砥から、三里塚闘争へ向けて赤軍派ないしその影響下にあるグループが黄河作戦を展開する予定であることを聞かされ、一緒にやらないかと誘われ、また、黄河作戦に使用する爆弾を共同で製造しているのである。従つて、被告人らとしては、青砥の主張する投げ込み方式には不賛成であり、赤軍派の指導の下に黄河作戦に参加する意図はなかつたにせよ、三里塚闘争に参加することは、同闘争の中で展開される赤軍派の黄河作戦と併進することになるのであり、被告人らとしても、そのことまで拒否する意図であつたものとは認められない。西巻は、更に積極的に、広い意味で、赤軍派と連絡を取り合つていくことによつて、黄河作戦の一環として位置付けられているんじやないかと考えていたと述べている(西巻の第二一回公判廷供述)。その余の共犯者や被告人は、高円寺の闘争は黄河作戦とは関係ないとか、黄河作戦と連帯したものではないと述べているが、赤軍派と全く無関係の闘争と考えていなかつたことは、一六日に設置した爆弾が不発に終り、翌朝これを回収してその夜再度設置しに行くに先き立ち、被告人から青砥に対し、それまでの経過を逐一連絡していることからも明らかである。その際、青砥は、被告人らが勝手にそのようなことをやつて不発弾が押収されれば赤軍派にまで捜査の手が伸びることを懸念して激怒したほか、時限装置による闘争は無意味であると強く批判している(被告人の第四一回公判廷供述)。被告人らが、青砥とは闘争方針が合わないから今後は絶縁することを決定したのは、翌一八日、爆破に成功した後原判示みゆき荘で行われた総括の席上、被告人が前日の青砥の批判を紹介し、その旨の提案をなしたことによるものである(前同)。

原判決は、以上のような諸事情を総合して、本件が「黄河作戦に呼応して」なされたものと判断しているのであつて、その認定に所論の誤認はない。

(三)  次ぎに、身体加害目的の有無につき検討する。

(1)  各論旨は、被告人らの闘争方針は、赤軍派のような「殲滅戦」を志向するものではなく、警察施設の物理的破壊により警察の威信を失墜させ、そのことによつて大衆の警察に対する恐怖感を払拭し、大衆の反権力的自然発生性を高揚して機動隊政治を打破しようという「プロパガンダ闘争」であり、警察官を殺傷することは、徒らに大衆の同情を警察に傾斜させ、逆効果を生じるから、警察官を含む他害可能性の徹底的排除が不可分の要素となつているのであつて、身体加害目的とはおよそ相容れないものであるという。

所論「プロパガンダ闘争」が機動隊政治の打破を目標とするものであれば、機動隊とは異質の、一般市民との接触の最先端にあり、市民に対する奉仕的機能を営む交番を、自らは安全な場所に隠れ潜みながら、物理的に破壊することによつて、何ほどの大衆的共感を得られるものであるか、また、その際、警察官の殺傷を回避することが不可欠の命題であるかは疑問の余地なしとしないが、その点はさて措くとしても、被告人らの闘争方針は、被告人らの行動の目的を知る上での一つの手掛りであるに過ぎず、より直接的には、被告人らの行動の態様及びその結果が、その行動目的を示すものといえるのである。

(2)  本件爆弾は、鉄パイプ一本にダイナマイト約七〇グラムを充填し、起爆装置として電気雷管を接続した時限装置付きのものであつて、その爆発力に鑑み、これを人の現在する建造物に近接した場所で爆発させれば、特段の事情のない限り、建造物の物理的破壊にとどまらず、人の身体に害を生ずる危険性の高いものということができる。

すなわち、原判決が証拠の標目三一に掲記する実況見分調書謄本二通によれば、爆心地の地表には五〇×三〇平方センチメートル、深さ四センチメートルの漏斗孔を生じ、半径約二五メートルの範囲に破片が飛散しており、その一部は、派出所西側の道路を距てた食料品店の金属製シヤツターを貫通して店内に飛び込み、一つは商品台に突き刺さり、一つはコーヒー豆ケースのガラスを破損し、一つはミルク缶詰を貫通している。そして、爆弾を設置した場所に近接した派出所の内部は休憩室となつており、爆発が起こつた当時は、三人の警察官が爆弾の置かれた西側の壁の方に頭を向けて仮眠中であつたところ、爆発によつて西側壁の二本引き窓の中桟から下の部分のガラスが全部割れ落ちて、大きなガラス片が枕元に散乱したが、窓の内側に厚手のカーテンが引かれていたため、警察官の身体を直撃するに至らなかつたことが認められる(前掲のほか、証人田辺安雄の第三回公判廷供述)。

(3)  弁護人らの所論は、被告人らは、本件爆弾を時限装置付きのものとし、その設置場所、爆発時刻を慎重に選択することによつて人身被害の可能性がないと考えたというのであるが、被告人らの選択した時刻、場所における爆発によつて右のような結果が惹起されているのであり、もし、窓のカーテンが引かれていなかつたとしたら、現実に人身傷害が発生した蓋然性はきわめて高いものといわなければならない。所論は、コンクリート壁の内側に居る警察官の身体に危害が及ぶことは考えられない旨、繰り返し強調しているが、本件交番は、木造亜鉛板葺平屋建建造物であつて、コンクリート壁はどこにも用いられていないのであるから、その前提に誤りがあることが明らかであるのみならず、被害発生の可能性に重大な関係のあるガラス窓の存在についての配慮を欠いており、採るを得ない。前示のとおり、爆発当時、爆発地点に近接した場所で三人の警察官が仮眠していたほか、爆発直後、交番の外へ出た警察官は、付近に女の人などが五、六人居り、酔つ払いの男がごみの間を這つて歩いているのを目撃しているのであるから(田辺前掲)、交番周辺にはまだ一般市民が居り、これらの者が被害を受ける可能性すら排除されてはいないのである。

(4)  被告人らは、爆発後、爆弾の威力は思つたほどでもなかつたとの感想を述べており(被告人の第四一回公判廷供述)、より強大な爆発力を想定していたことが窺われるから、そのような性能の爆発物を人の現在する建造物に近接した場所において敢えて爆発させるという行為に出ている以上、たとえ未必的にもせよ、身体加害の結果の認識(予見)・認容は当然有していたものと認められ、現場の具体的状況に照らし、結果発生の可能性が全くないことが明らかであるような特段の事情(本件では、認め得ない。)のない限り、身体加害目的の成立が阻却されることはない。

(5)  以上に、原判決の掲げるその余の諸事情を併せ考慮すれば、縷々の所論にもかかわらず、本件爆弾の製造・使用の各行為時点において、被告人に身体加害目的があつたものと認定した原判決に所論の誤認はない。

3 手形山ダイナマイト窃取事件(弁護人らの控訴趣意第二の三、被告人の控訴趣意四)

<原判示第三事実の要旨>

被告人は、熊谷、克己、監物及び高橋と共謀のうえ、今後更に警察施設等に対する爆弾闘争を続けるためにダイナマイトを入手しようと企て、

一  昭和四六年一〇月上旬ころの午後一〇時ころ、秋田市手形大松沢所在の原判示株式会社三田商店秋田支店火薬庫において、支店長奈良武男管理にかかる原判示三号桐ダイナマイト二二五本(時価合計約五八〇〇円相当)を窃取し、

二  治安妨害及び人の身体財産加害の目的をもつて、右一の窃取の日からその翌日までの間、同市手形からみでん(搦田)所在の原判示阿部アパートの高橋方居室に右一のダイナマイト二二五本を隠匿し、もつて爆発物を所持した。

(一)  被告人の論旨は、右一の窃盗は、実行行為者である熊谷、克己、監物及び高橋の四名が、酔つた勢いで偶々敢行したものであつて、被告人は何ら共謀に加わつていないから、右事実につき被告人は無罪であるというのであり、弁護人らの論旨は、〈1〉被告人の右論旨と同旨であるほか、〈2〉右二の所持につき、被告人には身体加害目的がなく、また、〈3〉右一の窃取にかかるダイナマイト二二五本の時価合計が約五八〇〇円であるという根拠は全く存しないというのである。

しかしながら、原判示各事実は、所論の否認する諸点をも含め、原判決の挙示する関係証拠によつて優にこれを肯認するに足りるのであつて、原判決に所論の各誤認はない。以下、順次補説する。

(二)  はじめに、右一の窃盗に関する被告人の共謀の有無について検討する。

(1)  弁護人らの所論は、まず、原判決の判示は、本件を共謀共同正犯であると構成しながら、その共謀の日時・場所・方法がきわめて曖昧であると批難するが(弁一五五頁)、原判決が「主要な争点に対する当裁判所の判断」と題する項の第三の一に判示する共謀成立の経過は明快であつて、所論の批判は当たらない。すなわち、本件共謀が最終的に成立したのは、昭和四六年一〇月上旬ころの犯行当日、原判示高橋方居室に被告人ら五名が相会したときであるが、手形山の火薬庫からダイナマイト等を盗ろうという話は当日になつて突然出て来たのではなく、既に同年六月ころ、黒色火薬の爆発実験をやつていたころから、熊谷、高橋、克己らの秋田グループの間で、屋根を破つたら盗れるんじやないかといつた漠然とした話が出ており、その後、熊谷らにおいて火薬庫の状況を下見し、鍵穴の石膏型を取つて被告人らに報告するなどするうち、次第に具体的な形を取るようになつて行つたものであつて、原判決は、共謀成立の認定に先き立ち、その経過の一部を説明しているに過ぎず、他の日時・場所における共謀を認定しているものでないことは、その判文上明らかである。

(2)  同所論は、秋田グループの者は、手形山の火薬庫を下見した結果、屋根を破るか合鍵を使わなければ窃取は不可能であると認識していたものであり、また、同火薬庫は熊谷や高橋の住居の直ぐ近くにあり、同所からダイナマイトを窃取すれば、平素から活動家として警察から目をつけられているので、直ちに容疑者として追及される虞れもあつたため、窃取には消極的であつたと主張するが(弁一五八-一六四頁)、熊谷の第二九回公判廷供述によれば、寒風山でダイナマイト等を窃取してから一週間位後に克己、高橋と三人で手形山を下見した際、火薬庫の窓の鉄扉が開いており、ガラス戸を開けて鉄格子の間から手を入れるとダイナマイトの箱に届くことが分かつたので、これなら、箱をばらして中身だけ取り出せば、屋根を破る訳でもなく、鍵を壊す訳でもないから、盗んでも分からないんじやないかと三人とも思つたというのであるから、所論のような障害はなかつたものと認められる。また、所論は、被告人ら東京在住の者にとつては、手形山に火薬庫があるという情報が伝わつていただけで、同所からダイナマイトを窃取するという具体的な計画はなかつたと主張するが、被告人らは、高円寺駅前交番爆破に成功した後、赤軍派と手を切つて独自の爆弾闘争を進めて行くためにも、ダイナマイトや雷管を入手する必要のあることを話し合い、同年九月下旬熊谷が秋田に帰る際、被告人から「秋田の方でダイナマイトを手に入れることを検討しておいてくれ」と依頼しており、その後、克己から被告人に対し、寒風山でダイナマイトを窃取したが量が少ないのでもつと増やしたい旨連絡し、手形山の下見の結果を伝えたため、被告人において秋田グループの者と東京在住の者との都合を調整し、現場の警備の状況をも勘案して秋田へ行く日程を決めたことが認められるから、右の所論も採るを得ない(熊谷の検察官に対する昭和五五年四月二四日付供述調書謄本、被告人の検察官に対する同月二三日付供述調書等)。

(3)  同所論は、更に、熊谷らが寒風山で窃取したダイナマイト等は、武器の調達として充分な量といい得るから、被告人らにおいてそのうえ更に手形山からダイナマイト等を窃取する必要は全く認められないと主張する(弁一六七-一六八頁)。しかし、寒風山で窃取したのは、五〇グラムのダイナマイト約六〇本、一〇〇グラムのダイナマイト約二〇本、アンホ二、三〇袋、電気雷管・工業用雷管各五〇本位、リード線・導火線各二巻位であつたところ(熊谷前掲)、熊谷がかねてから計画していた仙台国見の米軍通信所のパラボラアンテナ二基の脚部(計八本)に仕掛けるだけでも約八キログラム(一〇〇グラムのもの八〇本)のダイナマイトを必要とする(実際には、電源室爆破用を含め約一〇キログラムを携行している。)のであるから、寒風山で窃取したダイナマイトだけでは、被告人らが爆弾闘争を継続して行くために充分な量とは到底認められない(熊谷の第二七回公判廷供述及び検察官に対する昭和五五年五月一日付供述調書謄本)。各所論は、当時はまだ仙台国見の件などは計画されていなかつたと主張するが(弁一六六頁、被二二頁)、高橋方居室に集つた際には、被告人が高円寺駅前交番爆破の経緯を説明し、今後は当面一〇・二一国際反戦デーに向けた爆弾闘争をやろうと提案したのに対し、一同の間では、具体的な犯行計画とまでは行かないものの、今後は同時多発でやるべきだとか、一〇・二一の後は仙台国見の米軍通信所を爆破しようとか、三里塚へ通じる陸橋や送電線を爆破しようなどという話も交されているのであつて、寒風山のダイナマイトでは不足であるとの認識のあつたごとを看取するに難くない(熊谷の検察官に対する同年四月二四日付供述調書謄本)。それ故、犯行の動機、必要がなかつた旨の各所論は採るを得ない。

(4)  更に、各所論は、当日は、東京から来た被告人らを歓迎するため、高橋方居室で飲酒した後、秋田グループの者が、監物に手形山の火薬庫などを見せてやろうとして案内したところ、偶々窃取可能の状況であつたため、その場で本件犯行を決意し実行したものであつて、高橋方居室に残つていた被告人は、何ら右の謀議に関与していないと主張し(弁一六八-一八五頁、被二四-二五頁)、原審公判廷においては、各関係者はそれぞれ所論に沿う供述をしている。しかし、手形山の現況を紹介する目的なら、被告人を残して行くのは不合理である。使用した車が四人乗りの軽四輪であつても、東京から来た被告人と監物を優先的に乗車させればよく、現地の状況を知悉している秋田グループの者が三人とも同行する必要はないのであつて、右各供述はにわかに措信し難い。関係者の捜査段階における供述によれば、出発に際しては、熊谷が海軍ナイフを、高橋がメスを、それぞれ携行しているほか、四人分の軍手、懐中電灯二個、バツグ等も用意して行つたというのであり、あらかじめ本件犯行を予定して出発したものであることが明らかであり、従つて、その前に被告人をも交えて謀議がなされたものと認めるのが相当である。そして、被告人も、他の者と同行する予定であつたが、車が四人乗りであつたため、後に残ることとなつたもので、実行行為に加わらなかつた理由はそれだけであり、一同が出発するに際しては、「注意して行つて来い」と指示を与えているのである(熊谷前掲、高橋の検察官に対する昭和四七年七月八日付供述調書謄本)。また、弁護人らの所論の主張する如く、手形山の火薬庫へ行く途中、桂浜の海岸で黒色火薬を用いた鉄パイプ爆弾の爆発実験をした事跡があつたものとしても、そのことは、本件窃盗につき事前共謀が存したことと何ら矛盾するものとは考えられない。

(5)  以上のとおりであつて、その余の所論をも併せ検討しても、本件窃取行為につき被告人に共謀共同正犯の刑責を肯認した原判決に所論の誤認はない。

(三)  次ぎに、弁護人らの所論は、前示二の爆発物所持の犯行につき、被告人には身体加害目的がなかつた旨主張するが(弁一八五-一八六頁)、右主張の理由のないことは、原判決が「主要な争点に対する当裁判所の判断」と題する項の第二の三に詳述しているとおりであつて、原判決に所論の誤認はない。

(四)  弁護人らの所論は、更に、前示一の窃取にかかるダイナマイト二二五本の時価合計が約五八〇〇円であることの根拠がないと主張するが(弁一八六頁)、右事実は、原判決の挙示する証拠四六(証人奈良武男に対する尋問調書謄本)によつて優に肯認できるから、所論は理由がない。

4 いわゆる連続交番爆破事件(弁護人らの控訴趣意第二の四、被告人の控訴趣意五)

<原判示第四事実の要旨>

被告人は、

一  熊谷、西巻、高橋及び菊池と共謀のうえ、昭和四六年一〇月二三日前示みゆき荘の菊池方居室において、治安妨害及び人の身体財産加害の目的をもつて、ダイナマイト、鉄パイプ等を用い、原判示時限装置付き爆弾四個を作り、もつて爆発物を製造し、

二  熊谷及び菊池と共謀のうえ、治安妨害及び人の身体財産加害の目的をもつて、右両名において、

1  同日午後七時前ころ、右一の爆弾一個(一本一〇〇グラムのダイナマイト一〇本を束ねて粘土で覆い、起爆装置として電気雷管を結合したもの)を原判示警視庁本富士警察署弥生町派出所屋上に置き、翌二四日午前二時〇五分ころ同所においてこれを爆発させ、もつて爆発物を使用し、

2  同月二三日午後八時ころ、右一の爆弾一個(鉄パイプ一本にダイナマイト約一〇〇グラムを充填し、起爆装置として電気雷管を結合したもの)を原判示警視庁中野警察署東側のコンクリート塀越しに同署会計厚生課室東側の遺失物自転車置き場に投げ入れ、翌二四日午前二時ころ同所においてこれを爆発させ、もつて爆発物を使用し、

三  西巻及び高橋と共謀のうえ、治安妨害及び人の身体財産加害の目的をもつて、右両名において、同月二三日午後一〇時ころ、右一の爆弾一個(鉄パイプ三本にダイナマイト合計約三〇〇グラムを充填し、これを一つに束ね、うち一本の鉄パイプに起爆装置として電気雷管を結合したもの)を、起爆装置を作動させたうえ、原判示警視庁荻窪警察署四面道派出所裏側の壁に接着した便所汲取用便槽の上に置き、もつて爆発物を使用し、

四  監物及び梶原と共謀のうえ、治安妨害及び人の身体財産加害の目的をもつて、右両名において、同日午後九時三〇分ころ、右一の爆弾一個(鉄パイプ一本にダイナマイト約一〇〇グラムを充填し、起爆装置として電気雷管を結合したもの)を、起爆装置を作動させたうえ、原判示警視庁代々木警察署清水橋派出所の物置部分に近接した地面の上に置き、もつて爆発物を使用した。

(本件は、警察施設の同時爆破を企図した事案であつて、「連続」というのは適切でなく、警察施設の中には「交番」でない警察署も含まれているが、捜査段階以来の慣用的表現に従うこととした。)

(一)  各論旨は、要するに、被告人は、〈1〉右二なしい四の爆発物の使用につき、各実行行為担当者と犯行を共謀していないし(弁一八九-二〇三頁、被二六-四五頁)、〈2〉右一の爆発物の製造につき、あるいは仮りに右〈1〉の共謀が認められるとした場合には右二ないし四の爆発物の使用についても、身体加害目的を有しなかつたものであるから(弁二〇三-二一八頁、被二五-二六頁)、これらを肯認した原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかし、原判決の挙示する関係証拠を総合すれば、被告人が原判示各爆発物使用の点につき共謀共同正犯としての刑責を負うものであること及び原判示爆発物製造及び使用に際し、身体加害目的を有していたものであることを肯認するに足り、当審における事実取調べの結果を併せて検討しても右判断を左右するに由ないから、原判決に所論の誤認はない。

(二)  はじめに、右二ないし四の爆発物使用の点につき、被告人の共謀共同正犯としての刑責の有無を検討する。

(1)  原判決挙示の関係証拠を総合すれば、次のような事実が認められる。

昭和四六年一〇月一四日ころ、被告人は、原判示飛雲閣内の亀川方居室に、熊谷、西巻、監物、高橋及び菊池を召集し、一〇・二一国際反戦デーに向けて爆弾闘争を行うことを付議したが、その際、冒頭に、さきの高円寺駅前交番爆破についての総括を行い、〈1〉右闘争は成功で警察は恐怖におののいているが、隣の商店に被害を与えたのはまずかつた、〈2〉しかし、投げ込みでなく、時限式を用いた場合、近くの民家に若干の被害が出ても仕方がない、〈3〉赤軍派の青砥から時限式はナンセンスで交番の中へ投げ込んで警察官を殲滅すべきであると批判されたが、赤軍派は我々と協力して紅河作戦を展開すると言つておきながら何もしないのはおかしいと反論しておいた、〈4〉しかし、青砥は時限式は駄目だということを繰り返すので、我々の方では今後も時限式の方法で爆弾闘争を続けると言つておいた旨報告した。これに対し、一同は、高円寺闘争の評価と今後赤軍派とは一線を画して独自の爆弾闘争を行うという方針については異議なく賛同したものの、その方法論については意見が分かれ、西巻や菊池らは、手投げ式によることを強く主張した。しかし、手投げ式を敢行するにはそれなりの訓練や逃走用車両の確保が必要であり、そうでなければ実行者側が死傷し、あるいは逮捕される危険が大きいことが指摘され、被告人が一同の意見を取り纏める形で時限式によることを決定した。実行の時期については、一〇月二一日の当日やそれより前は警備が厳しいことが予想されるので、警戒の緩むと思われる同月二三日とすることに意見の一致を見た。爆破の対象については、熊谷が仙台国見の米軍通信所とすることを提案したが大方の賛同を得るに至らず、なおも熊谷がこれに固執したため、被告人が、一〇・二一の闘争の後で下見したうえ、最終的に結論を出すということで調整した。そこで、目標を都内の警察施設に絞つたところ、一部の者から同時多発的に数個所を爆破しようという提案がなされ、一同これに賛成したが、被告人は、その際、同時多発の意義について理論付けを試みている。なお、その際、爆破時刻は一般の通行人の少いと思われる午前二時ころとすることも決定された。

かくして、都内の警察施設に対する同時多発的な時限式爆弾による闘争という方針が策定されるに至つたのであるが、具体的な攻撃対象の選定については、各自が思い思いの警察施設を提案し、なお流動的であつた。そこで、攻撃対象は四個所位とし、全員がいくつかのグループに分かれてそれぞれ二個所位ずつ下見を行い、その結果を被告人に報告し、被告人がこれを調整することとした。

その後、同月二〇日ころから実行当日の同月二三日ころにかけて、前記みゆき荘内の菊池方居室等において、右下見の結果に基づき随時協議がなされた結果、西巻・高橋組が警視庁荻窪警察署、監物・梶原組が同中野警察署中野駅前派出所、熊谷・菊池組が同本富士警察署弥生町派出所及び同中野警察署を主対象とし、現場の警備状況の如何等によつては、各実行グループの判断で適宜他の警察施設を対象とすることもできることとし、被告人は、実行グループには加わらず、全体の調整、指示等に任ずること、爆弾の設置に成功した場合等には、被告人に電話で連絡することなどが決定された。

同月二四日における製造、使用の状況は、原判示第四の各事実のとおりであり、西巻・高橋組と監物・梶原組とは、当初に予定した主対象とは異る警察施設に爆弾を設置している。

(2)  以上に対し、各論旨は、被告人が前示飛雲閣における謀議に参加したのは事実であるが、右謀議は、未成熟な設計見取図ともいうべき域を出るものではなく、被告人は、その後、実行担当者らの間に具体的な犯行計画につき強固な共同意思主体が形成されるに至つた実行当日までの間に、他の共犯者らから排除され、実行行為とは全く関係のない地位に疎外されてしまつたのであるから、被告人と各実行行為担当者らとの間には共謀関係を認め得ないと主張する。

しかしながら、飛雲閣における謀議は、前示のとおり、同月二三日に都内の警察施設四か所位に時限式爆弾を仕掛け、翌二四日午前二時ころ、同時多発的にこれを爆発させるという具体的内容を持つた犯行計画であり、その後、下見の結果などに基づき、主対象とする警察施設を特定し、実行担当者の組分けに一部異同を生じたとはいえ、最終的な犯行計画は、右飛雲閣における謀議の大枠から外れるものではない。換言すれば、飛雲閣における被告人ら六名の謀議(その後、監物を介して梶原も加わることとなる。)は、その後のみゆき荘における謀議を重ねて最終的な犯行計画が確定するまでの間、同一性を保ちつつ継続されていたものであつて、その全体を一連のものと見るのが相当であり(訴因の構成上、製造の共謀から監物、梶原が外され、使用については、被告人と各実行グループとの間の三個の共謀とされているが、そのことは、本文のような見方と牴触するものではない。)、飛雲閣謀議と異なる新たな共謀が、被告人を除く各実行グループの間に、別途成立したものと見るのは相当でない。最終的な犯行計画が確定したのは、熊谷の検察官に対する昭和五五年四月一一日付供述調書謄本、被告人の検察官に対する同月一四日付供述調書、監物の第二三回公判廷供述等によれば、昭和四六年一〇月二〇日ころのみゆき荘における謀議の機会であることが窺われるが、それが、各所論の主張するように、犯行当日、みゆき荘に監物、梶原を除く一同が集まつた機会であるにせよ、いずれの場合にも被告人はその場に同席していて、謀議の内容を逐一了知し、かつ、これに同意し、右犯行計画を、実行担当者らの行為を通じ、自らの犯行として実現しようとしたものであるから、共謀共同正犯としての刑責を負うものであることは明白である。なお、共謀共同正犯が成立するためには、〈1〉共同謀議に関与したこと、〈2〉共謀者の一部が共謀にかかる犯罪を実行したことを要し、かつ、これをもつて足りるのであつて、謀議関与以外に何らの行為をしなくても、共謀共同正犯は成立するのである。

(3)  西巻・高橋組及び監物・梶原組は、前示飛雲閣謀議以来組合せが変つていないのに対し、熊谷・菊池組は、飛雲閣謀議の際は被告人・菊池組とすることが予定されていたものである。この点に関し、原判決が証拠の標目五一に挙示する被告人の検察官に対する各供述調書では、飛雲閣謀議のときから、被告人は全体的な指揮を取り、熊谷が中野警察署を、菊池が弥生町派出所をそれぞれ担当し、相互にサポートし合うことになつていたが、後に右両名が組を作ることとなつた旨、熊谷前掲では、飛雲閣謀議の際は、被告人・熊谷・菊池の三名が一組となり、二個所を担当することになつた旨、それぞれ述べられているが、他の組がいずれも二名一組となつているのと対比して編成が不自然であつて、たやすく措信するを得ない。被告人と菊池の両名が弥生町派出所の下見に行つている事跡に徴すると、当初は被告人・菊池の組合せで、熊谷は製造のみを担当することとなつていたが、後に熊谷・菊池の組合せに変更され、被告人が脱けることとなつた旨の各関係者の公判廷供述に信用性が認められる。そして、関係証拠によれば、右変更の原因は、菊池において、下見に行つた際の被告人の態度が日和見的であつて一緒に行動したくないとして、製造だけでなく爆弾設置の実行行為にも参加したがつていた熊谷に一緒にやることを働きかけたことにあり、両名の間で合意を遂げたうえ、その旨を被告人に通告した経過が窺われる。これは、被告人にとつて予期せぬところであつたであろうことは察するに難くないが、被告人は、結局これを受け入れて、熊谷・菊池組が弥生町派出所及び中野警察署を担当することを内容とする最終的な犯行計画に合意しているのである。また、熊谷・菊池組の犯行計画も、実行担当者を変更したとはいえ、手投げ式による攻撃を企図したり、警察施設以外の攻撃目標を設定するなど(飛雲閣謀議で両名が提案し、否決されたもの)、飛雲閣謀議の枠を逸脱するものではない。飛雲閣謀議は依然として存続し、ただその実施計画の細目に変動を来たしたに過ぎず、被告人は共謀関係から離脱したものではない。

(4)  各所論は、中野警察署を攻撃対象に含めることは当初の謀議の内容となつておらず、実行当日になつて急遽予定に加えられ、四個目の爆弾が製造されるに至つたものであると主張する。

前示のとおり、熊谷・菊池組において、弥生町派出所のほか、中野警察署をも攻撃対象とすることは、昭和四六年一〇月二〇日ころのみゆき荘における謀議で決定されたことが窺われるが、そうでなく、所論のように、同月二三日に急遽決定されたものであるとしても、熊谷・菊池組が当日みゆき荘を出発するまでの間に決定されている以上、被告人と熊谷・菊池との間の共謀の内容になつたことに変りはなく、共謀の範囲から外れるものではない。

(5)  弁護人らの所論は、被告人が、攻撃対象である警察施設の実行段階における変更の可能性を認識・認容していた旨の原判決の認定は事実を誤認したものであると主張し、攻撃対象である警察施設は、各実行グループによる下見の段階で固定され、下見によつて把握した各施設の形態、構造に応じた爆弾を熊谷が製造したという経緯に照らしても、攻撃対象の変更は予定になく、目標とした警察施設に仕掛けられない場合には中止を予定していたものと見られること、各実行グループが目標を任意に変更したのは、各実行グループが、他とは無関係に独自の意思をもつておのれの闘争としてこれを遂行したことを示していることなどを、その論拠に掲げている。

しかしながら、本件闘争は、共産同RG派による爆弾闘争が偶々同日実行されたのと同様に、被告人らの三つの実行グループがそれぞれ他とは無関係に独自に企画、実行した闘争が偶々同日に重なつたというのではなく、当初から、都内の警察施設に対する同時多発的な一斉攻撃を企図したものであるから、その全体的構想の中で、各実行グループが任意に攻撃目標を変更した事跡があるということは、逆に、そうすることについて、被告人を含むグループ全員の間にあらかじめ了解があつたことを窺わせるものといえるのである。所論は、目標とした警察施設に仕掛けられない場合にはむしろ中止が予定されていたというのであるが、実際に攻撃を中止した実行グループは一つもないのである。被告人らの重視する政治的プロパガンダの目的からすれば、同時多発という点に意義があるのであつて、実行グループのいくつかが任意に攻撃を中止し、同一の目標に対し、他日、別の時刻に攻撃をするというのでは、政治的宣伝効果は大きく阻害されるのに対し、同時多発の原則が維持される限り、目標とする警察施設の変更は、右目的達成に殆ど影響を及ぼさないものと考えられる。たしかに、熊谷は、下見の結果に基づいて四個の爆弾を製造してはいるが、そのうち構造的に特異なのは弥生町派出所を目標としてダイナマイト一〇本を束ねたもののみであつて、これは予定どおり弥生町派出所に使用されており、その余の三個は、予定外の攻撃目標に対しても使用できる互換性を具えていたものと認められる。

このように見てくると、攻撃対象変更の可能性は容認されていた旨の被告人らの捜査段階における供述は信用するに足り、これに反する被告人らの公判廷供述は措信するを得ない。ちなみに、所論は、原判示に沿う被告人の供述は、検察官に対する昭和五五年四月九日付供述調書(第四項)の中に見られるのみであつて、最も詳細な同月一四日付の調書中には一切記載されていないと主張しているが、同調書第二八項には、「多分この時だつたと思いますが、私が電話器のある古堅さんのところにいることにし、ここに電話で連絡をとつてくれるように話しをしておきました。(中略)各人の担当が決つておりましたが、いざその場に行つたさい、その場の状況で場所を変えることもできました。ただ、その状況の判断に誤りがあつたりするといけないので、私の方に連絡をとつてもらい、私の方で必要な指示が出せるようにしたものです」との供述記載があり、右の「場所を変える」旨の表現が、単に設置場所を変更するだけでなく、対象とする目標を変更する意味を含むものであることは、同項全体の行文から明らかである。なお、熊谷の検察官に対する同月一一日付供述調書謄本第五項は、原判示に沿う趣旨を一層はつきりと明言している。

(6)  ここで、被告人に電話連絡をすることの意味について考察するに、右のとおり、実行担当者において現場の状況に応じ攻撃目標を変更することはあらかじめ容認されていたのであるから、右の電話によつて被告人の指示を仰ぎ、あるいは許可を求める必要があつたものとは考えられず、また、被告人においても、都内の警察施設の状況を全部掌握している訳ではないから、何らかの指示を行うとしても、結局は現場に居て状況を把握している実行担当者の判断を尊重することになるものと思われる。しかし、実行担当者の判断に大きな誤りのあることが明らかであるような場合には、そのことを指摘して是正する必要のあることは当然であつて、右に引用した被告人の供述記載はそのことを述べている趣旨と解される。そして、実行担当者において、当初の謀議の方針を逸脱し、たとえば投げ込み方式を採ることとしたり、警察施設以外の攻撃目標を選定したような場合にこれを制止できることもいうまでもないところである。被告人との電話連絡は、このようなチエツク機能を有するほか、監物からの電話に対して実際そうしているように、他の実行グループの行動状況についての情報を提供し、助言を与えたり、実現に至らなかつたが当初予定されていたように、都内の地理に不案内な熊谷が菊池とはぐれて警察に追われたような場合にこれを救出する機能をも営むべきものとされていたのである。従つて、所論の主張するように、被告人が、闘争にとつてあつてもなくてもいいような、あるいは、少なくとも不可欠とはいえないような、単なる電話番に格下げされたというのは正当な評価とはいい難く、被告人や共犯者が捜査段階で一致して述べているように、被告人が「全体の総指揮を取る」こととなつたというのは若干表現が強過ぎるものとしても、被告人は、各実行グループの接触し得る唯一の連絡先として、前示のような指示、調整、助言等の役割を果たす枢要な地位にあつたものと認めるのが相当である。

(7)  弥生町派出所に爆弾を設置する方法につき、謀議内容と実行担当者の行為との間にくいちがいの存することが、同一構成要件内における具体的事実の錯誤に過ぎず、共謀共同正犯の刑責を問う支障とならないことについては、原判決が正当に指摘するとおりである。

(8)  その余の各所論につき検討してみても、原判決が本件各爆発物使用の点につき被告人に共謀共同正犯の刑責を認めたことに、各所論の誤認があるものとは認められない。

(三)  次ぎに、原判示爆発物製造、同使用の各罪につき、身体加害目的の有無を検討する。

(1)  右の点に関しては、原判決が、「主要な争点に対する当裁判所の判断」と題する項の第二の四において詳細に判示しているところであつて、関係証拠に照らしてみると、〈1〉本件各爆弾がいずれも前示高円寺駅前交番爆破事件に用いられた爆弾と同程度の又はこれを遥かに上回る威力を有するものであり、被告人は、本件各爆弾がいずれも人を殺傷する能力を有するものであることを認識していたこと、〈2〉本件各爆弾を仕掛けた場所や方法についてみると、弥生町派出所に仕掛けた爆弾の威力からすれば、被告人が当初認識した方法であつても、実行担当者が現に実行した方法であつても、人を殺傷する可能性のあることは容易に肯認でき、被告人が右の爆弾を右の可能性のある状況の下で爆発させることについて認識していたことに変りはなく、また、他の三つの警察施設についても、被告人としては、実行担当者において、当初予定した警察施設あるいは状況判断によりこれらに代えて他の同様の警察施設に近接した場所に、前示のような威力を有する爆弾を設置して爆発させることの認識を有したものであること、〈3〉被告人らの原判示闘争目的の存在、〈4〉警察官に対する殺傷の認識・認容があつた旨の被告人の捜査段階における供述の存在を総合して、被告人に本件各犯行につき身体加害目的のあつたことを肯認できるとした原判決の判断は、正当として支持するに足りる。

(2)  弁護人らの所論は、原判決は、製造時における被告人の認識(製造罪についてはもとより、使用罪についても、被告人が実行行為を担当していない以上、製造時の認識を問題とせざるを得ない。)と各実行グループによる実行時の状況とを混同し、身体加害目的の認定に際し、論理的に考慮すべきでない事項を考慮している点に致命的な誤りがあると主張する。

被告人の身体加害目的の存否につき判断するには、被告人が犯行に直接関与した時点(製造罪については製造時。使用罪については、使用に関する謀議の成立時。以下、両者を併せて「関与時」という。)における被告人の主観的認識状況等を基準とすべきことはいうまでもないところである。しかし、関与時を基準とする限り、その時点から見れば将来の事象に属するものであつても、予見という形で被告人の主観的認識の内容となつている事項を考慮することができるのは当然であり、また、考慮しなければならないのである。原判決は、このような観点から、関与時より後に生起した事象についても、被告人の認識(予見)の問題として論じているのであつて、その判断に方法論的な誤りは認められない。

所論は、むしろ、右のような観点から、攻撃目標である警察施設や爆弾の設置方法の変更については、関与時には、被告人に認識(予見)がなかつたことを主張するものと解される。しかしながら、〈1〉攻撃目標である警察施設の変更の可能性が謀議の内容となつていたことは、さきに説示したとおりであるから、この点についての被告人の認識(予見)に欠けるところはなく、また、〈2〉弥生町派出所に対する爆弾の設置方法につき、被告人の認識(予見)と現に実行された方法との間にくいちがいのあつたことは原判決も認めるところであるが、本件爆弾がダイナマイト一〇本(約一キログラム)を使用した強力なものであり、弥生町派出所の厚さ約一五センチメートルの鉄筋コンクリート製の屋根に直径約四〇センチメートルの爆破孔を貫通させる威力を有するものであること、同派出所裏側の構造及びこれと近接する東大工学部のコンクリートブロツク塀の状況等を勘案すると、被告人の認識(予見)したとおり、右コンクリートブロツク塀の内側から本件爆弾を仕掛けた場合であつても、身体加害の可能性を容易に肯認できるのであつて、この点の錯誤が身体加害目的の成立を阻却しないとした原判断は相当である。

(3)  各所論は、本件闘争の目的は、警察の威信を失墜させ、大衆の中に植え付けられている警察に対する畏怖を払拭するための政治的プロパガンダを行うことにあつたのであるから、右目的と警察官を殺傷する目的とは相容れないと主張するが、被告人ら自身、警察官の殺傷を回避することが所論プロパガンダ闘争にとつて不可欠であると考えていなかつたことは、次の事実からも明らかである。

すなわち、前示飛雲閣における謀議に際し、監物が、「爆弾は火炎びんなどとは違つて、質的な差がある。その点はどのように考えればいいのか」と質問したのに対し、被告人は、「その問題は警察官の殺傷ということに関連していく問題である」と規定したうえ、「我々としても、それは当然覚悟しなければならないし、爆弾をやる以上、警察官の殺傷ということも考えなければならない。(中略)それは仕方がないじやないか」と述べ、警察官の殺傷は止むを得ないということで話を纏めているのである(熊谷の検察官に対する昭和五五年四月一一日付供述調書謄本)。

また、被告人は、実行グループが出発するに際し、くり小刀と千枚通し数本を出し、爆弾を仕掛ける際、警察官に発見された場合に抵抗できるよう、これを携行することを慫慂しているのであつて(高橋の検察官に対する昭和四七年六月一五日付供述調書等)、このことからも、所論プロパガンダ闘争にとつて、警察官の殺傷ということが絶対避止すべき命題とは考えられていなかつたことが窺われる。

従つて、本件が所論プロパガンダ闘争の一環として企図されたものであるとしても、その一事をもつて、警察官に対する身体加害目的を認める余地がないということはできないのである。

(4)  その他、各所論は、爆弾の構造や設置方法・時刻等について縷々主張するが、いずれも原判決の前示認定に誤認のあることを疑わせるに由ないところといわなければならない。

(5)  仙台国見米軍通信所爆破事件(弁護人の控訴趣意第二の五、被告人の控訴趣意六)

<原判示第五事実の要旨>

被告人は、熊谷、克己、監物、高橋及び梶原と共謀のうえ、昭和四六年一一月一九日に予定されている沖縄返還協定批准阻止闘争に呼応して、仙台市国見所在の米軍通信所に爆弾を仕掛けて爆発させようと企て、治安妨害及び人の財産加害の目的をもつて、熊谷、監物及び梶原において、同月二一日午後一〇時ころ、爆弾一個(ダイナマイト約三キログラムを束ね、これに起爆装置として電気雷管を結合した時限装置付きのもの)を原判示仙台国見通信所電源室東側にある高圧受電盤コンクリート土台付近に置き、翌二二日早朝同所においてこれを爆発させ、もつて爆発物を使用した。

(一) 各論旨は、要するに、本件闘争は、熊谷、監物の両名において、それぞれの動機、目的をもつて企画立案し、参加するメンバーをオルグし、準備を整えたうえ実行したものであつて、被告人は、その政治路線からも、右闘争には消極的であつたが、爆弾製造技術を有する熊谷のグループからの離脱を虞れ、また、厳しい警備情勢の中で右に代る一一月の具体的闘争の構想を提示できずにいたなどの事情から、両名に対し右計画の中止を命ずるなど、明確な反対を表明できなかつたものであるから、右両名らと本件闘争を共謀したことはない、として原判決の事実誤認を主張するものである。

しかし、原判決の挙示する関係証拠を総合すれば、被告人が、熊谷ほか四名との間で謀議を遂げ、共同意思の下に本件犯行を実現したものであるとの原判決の判断を是認することができ、原判決に各所論の誤認があるものとは認められない。

(二) 原判決は、「主要な争点に対する当裁判所の判断」と題する項の第三の三において、謀議成立の経過等につき詳細に説示しているところ、各所論は、その個々の事実認定やこれらを総合しての判断を争つているので、まず、原判決の説示する事実を左に摘記することとする。すなわち、原判決によれば、被告人は、

〈1〉 昭和四六年六月ころ、熊谷から、仙台市の国見にある米軍の通信所を爆破したいという話を聞いた、

〈2〉 同年一〇月初旬ころ、秋田市手形の前記高橋方居室において、前記手形山ダイナマイト窃取事件の謀議をした際、再び熊谷から同通信所の爆破を行いたいと言われ、これを将来の計画の一つとして考えるようになつた、

〈3〉 同月中旬ころ、飛雲閣においていわゆる連続交番爆破事件の謀議をした際、熊谷から同通信所の爆破が提案されたため、取り敢えず下見して写真を撮つて来ることとし、被告人の人選で熊谷、監物、高橋及び越後が行くことを決めた、

〈4〉 そこで、栗橋からカメラを借りてこれを高橋に渡し、同月下旬、右四名を下見に行かせ、写真を撮らせた、

〈5〉 右写真のフイルムの現像を栗橋に依頼した、

〈6〉 同年一一月上旬ころ、飛雲閣において、熊谷、西巻、監物、高橋ら数名と右写真を見て検討した結果、同通信所の爆破に踏み切ることとし、計画の細目の策定を熊谷及び監物に委ねた、

〈7〉 その後、右両名と随時計画内容につき協議し、その過程で、熊谷、監物及び梶原を実行担当者とし、克己及び西山に現地における自動車の運転をさせることとし、同月二一日夜に爆弾を仕掛けて、翌朝これを爆発させることを決めた、

〈8〉 一方、栗橋に対し、熊谷らが野宿するためのキヤンプ用具の貸与方を依頼し、これを調達できなかつた栗橋から代りに現金を受け取り、これを熊谷らに渡した、

〈9〉 その後、同月中旬ころ、新潟県の西山の実家において、被告人、熊谷、西巻、克己、監物、高橋、西山、梶原らが合宿を行つた際、被告人において同通信所を爆破することの意義について述べ、熊谷、監物において計画の具体的内容を説明するなどし、その結果、右計画に従つて同通信所を爆破することが確認された、

〈10〉 帰京後も、熊谷、監物から計画の細部につき相談を受けたり、秋田県の克己や新潟県の西山に電話で連絡するなど、同通信所爆破の準備を続けた、

〈11〉 同月二一日夜、熊谷、監物及び梶原において、原判示のとおり右計画を実行した

というのである。

原判決は、以上の各事実に、〈12〉「自分はこの計画の全体的な指揮者であつた旨の被告人の捜査段階における供述」を加えて、被告人の共謀共同正犯の刑責を肯認している。

(三) 右の経過からも明らかなように、本件闘争は、さきの高円寺駅前交番爆破事件やいわゆる連続交番爆破事件、後記追分交番爆破事件などと比較して、最初の発案から爆破決行に至るまでにかなり長期間を要している点に際立つた特徴が認められる。

これは、所論も指摘するように、仙台国見の米軍通信所の爆破は、もともと熊谷の個人的体験からの発想に基づくものであるうえ、爆破の対象が米軍施設であり、かつ、東京を遠く離れた仙台の山中であることなどから、東京都内の警察施設に対する爆弾闘争を志向していた被告人らのグループにとつては異質のものと受け止められ、従つて、被告人をはじめ、グループ構成員の大多数が右計画に賛同し、その実行を推進しようと決意するまでに、それなりの時間の経過とグループ内外における情勢の変化が必要であつたことを示すものといえる。

しかし、そのような経過があつたにせよ、最終的には、本件闘争は、被告人らのグループによる闘争として実行したものであつて、これを熊谷、監物らによる個人的闘争と見ることは相当でない。

被告人らの闘争方針は、被告人が、スリランカにおける当時の反政府運動を参考に理論化したものであるというが、その生まれるに至つた背景としては当時の客観的政治情勢があり、被告人らのグループも一員として参加した反軍産闘争が警察機動隊の圧倒的な壁に阻まれて敗北に終つたという体験から、一定の政治目標を達成するためには、まずもつてこれを阻む機動隊を打破することが先決であるとする認識が生まれ、更に、機動隊そのものと正面対決することの困難さから、当面、都内の交番その他の警察施設に対する破壊活動へと戦術を後退させ、矮小化させるに至つたものであつて、それ自体が自己目的ではなく、一定の政治目標へ向けての最低の戦術的手段であるに過ぎず、従つて、客観的情勢がそれを許すならば、より直接的、高次な戦術的手段を取ることを妨げるものではない。そのことは、被告人らのグループによる爆弾闘争が、いずれも何らかの政治目標に合わせてその時期を選定していることに端的に現われているほか、被告人において、西巻、菊地が都内で機動隊の隊列へ手投げ式爆弾を投げ込む行動を起こしたときに明示的に阻止しようとはせず、また、警視庁本部や第四、第五機動隊、防衛庁などを攻撃目標とする迫撃砲の開発を熊谷に指示し、その実験をさせていることからも明らかに看取し得るところである。それ故、仙台国見の米軍施設を攻撃するということも、被告人らのグループが当面展開していた戦術とは一見異質であるかのように見えるが、その闘争方針と本質的に矛盾するものとは考えられない。そして、被告人自身、前記〈9〉の西山の実家における合宿の機会に、一同に対し、同所の米軍通信所を爆破することの意義付けを行つているのである。

(四)  ところで、原判決の挙示する関係証拠を総合すれば、本件犯行が被告人らの間で謀議され、実行されるまでの間に、さきに摘記した原判示〈1〉ないし〈11〉のような経過のあつたことを認めるに充分である。

弁護人らの所論は、本件は共謀共同正犯理論に立脚して被告人の刑責を問おうとするものであるにもかかわらず、原判示〈1〉ないし〈11〉では、共謀の日時、場所、内容などにつき充分に具体的な特定を行つていないのであつて、極めて不当な認定であると主張する(弁二二〇-二二五頁)。しかし、本件は、前項で述べたような事情から、当初の発案から謀議成立、実行に至るまでに長期間を要したものであり、原判示〈1〉ないし〈11〉は、その全過程を明らかにしたものであるところ、これと、原判示罪となるべき事実第五の記載とを併せて見れば、原判示〈3〉のいわゆる連続交番爆破事件の謀議をした際の飛雲閣での会合では、仙台国見通信所を爆破することについてグループとしての結論は保留され、下見の結果を待つて決定すべきものとされたところ、同〈6〉の一一月上旬ころの飛雲閣における会合において、下見の際の写真を見るなどして検討した結果、グループとして同通信所の爆破に踏み切ることとし、計画細目の策定を熊谷及び監物に一任し、同〈7〉の被告人と右両名との間の随時協議により実行担当者、自動車運転者などの役割を定め、爆弾の設置及び爆発の日時などの実施要綱を決定し、同〈11〉の一一月中旬ころにおける西山方合宿の機会に、参加者らに対し、同通信所爆破の意義、爆破計画の具体的内容を説明するなどし、ここに原判示共謀者六名の間に本件犯行の共謀が成立したことを判示した趣旨であることが明らかであり、所論の批難は当たらない。

なお、原判示〈4〉の下見の結果では、同通信所の夜間の様子が分からなかつたため、熊谷、監物の両名が同月一九日に仙台に向けて先発し、同月二〇日夜から二一日朝にかけて同通信所近くの山中に野宿し、同通信所の夜間の警備状況等を偵察しているところ、弁護人らの所論は、右事実を援用し、この時点においてさえ実行に充分な資料、情報が不足し、いまだ犯行計画は浮動の状態にあつたと主張するが(弁二四五-二四六頁)、同通信所のどこを爆破するかとか使用するダイナマイトの量をどの程度にするかなどの実施細目に関する最終的な決定は実行担当者の現地における判断に委ねられていた(被告人の検察官に対する昭和五五年四月二九日付供述調書第一三項)のであつて、かかる細目の決定を実行担当者に委ねたとしても共謀共同正犯における共謀の成立に欠けるところはなく、当初パラボラアンテナ二基及び屋内の電源室を爆破する予定が、偵察の結果、付近の民家に被害の及ぶ虞れのあることからアンテナは一基とすることとし、更に、実行直前の情況判断からアンテナの爆破は断念し、電源室に代えて屋外の高圧受電盤を爆破することに変更されているけれども、それは当初の共謀内容の縮少的変更であるに過ぎず、何ら当初の共謀の範囲を逸脱するものではない(また、よしんば、実行担当者の現地における情勢判断に委ねるという趣旨が、最悪の場合は犯行を中止することもあり得るという内容まで含むものであるとしても、かかる条件付きの共謀ももとより可能であつて、そのことの故に共謀関係がいまだ成立していないということはできないのである。)。

(五)  各所論は、前記〈1〉ないし〈11〉の原判決の認定を個々に争い、大要次のように主張している。

すなわち、(イ)原判示〈3〉の飛雲閣謀議の際「下見」の話が出たのは、熊谷が唐突に仙台国見通信所の爆破を提案したことに一同が困惑し、否決したものの、熊谷があくまで執着するので、「下見だけにしたら」という妥協案で熊谷の顔を立て、そのうち立ち消えになることを期待したものであつて、実行を前提とした準備行為ではない(弁二三五-二三九頁)、(ロ)同〈6〉の飛雲閣における話し合いは、一一月闘争をどうするかということが主題であつて、その一つとして下見の際の写真を検討したが、民間施設のようなたたずまいからその爆破に賛成する者はなく、また、爆弾を仕掛けるというのに、肝腎の夜間の状況が全く分からないという批判も出されて無期延期となつたものであつて、原判示のように「同通信所の爆破に踏み切ることとし」た事実はない(被五六-五八頁)、(ハ)同〈7〉の点は、一緒に下見をして来た熊谷、監物の両名が、アルバイト先での仕事の合い間などに二人だけで討議を重ね、計画を具体化して行つたものであり、被告人はその概要しか知らされていなかつた(弁二三九-二四三頁)、(ニ)同〈8〉の点は、熊谷が一人で国見の夜間の状況を下見して来ると言い出したので、被告人において、キヤンプ道具を持つている筈の栗橋の電話番号を熊谷に教えたものであつて、その後の両名の話し合いの結果は知らない(被五七-六〇頁)、(ホ)その後、監物も熊谷と同行することになり、爆破実行を前提としてみゆき荘で計画を練つていることに西巻、菊池から批判が出され、グループが国見派と反国見派とに分裂しそうになつたので、武器の分散を避けるための両派の妥協の産物として、迫撃砲を開発して警備強化で行き詰つた反国見派の一一月闘争を再度計画すること、迫撃砲の実験と国見通信所爆破の実行担当者の話し合いの場を作ることを目的として、同〈9〉の西山方合宿の構想が生まれたのであり、従つて、被告人は、右合宿において、同通信所爆破の意義を述べたことはないばかりか、実行担当者らの話し合いに参加したことすらない(被六一-六四頁)、などというのである。

しかしながら、原判示〈1〉ないし〈11〉の各事実を肯認し得ることは前項に説示したとおりであつて、各所論は、独自の証拠の評価に基づき原判決の認定を論難するに帰し、採るを得ない。

たしかに、国見通信所の爆破については西巻、菊池の両名が強硬に反対しており、そのため、熊谷単独による再度の下見計画も資金の浪費であるとして実現に至らず、犯行前夜の野宿による偵察に切り替えられた経緯が窺われ、被告人としても、グループ内に強硬な反対意見のあることにかなり気を使つていたことが認められる。しかし、国見通信所の爆破は、秋田グループの熊谷、高橋、克己らがかねてから念願としていたところであり、新劇人反戦グループの監物、梶原らもその政治的立場からこれを支持、推進していたのであつて、グループの大勢はその実施に傾いており、反対派への気兼ねからはつきりした態度を表明しない被告人に対し、監物からグループのリーダーを引退するよう要求するような事態まで生じているのである。他方、同通信所の爆破は、都内の交番爆破などとは異り、東京から遠く離れた仙台の山中に合計一〇キログラムもの大量のダイナマイト等を運び込み、実行行為終了後は車で日本海側へ逃走するという大掛りな作戦であつて、その準備のために栗橋の援助を仰ぎ、現場への進攻には沼知の運転する自動車を使用し、現場からの撤収には新潟県燕市在住の西山の自動車を利用し、秋田市在住の克己の助力をも得る必要があるなど、同じグループに属するとはいえ、日常的には熊谷、監物らと行動をともにしていないメンバーをも動員した総力戦ともいうことができ、グループ全体を統率する立場にある被告人の指導がなければ到底実行することの困難なものである。被告人は、当初は同通信所の爆破に消極的であつたが、原判示のような経過でなし崩し的に熊谷らの計画を援助し、支持し、グループによる闘争としていつたものであつて、その最終的態度は、西山方合宿の際における同通信所爆破の意義付けに表明されているのである。被告人の論旨(前記(ホ))はこのことを否定するが、被告人の検察官に対する昭和五五年四月二九日付供述調書第一一項によれば、被告人は、この闘争の意義について報告したのは監物ではないのかとの検察官の問いに対しこれを否定し、闘争の意義付けは監物ではなく自分がやつた記憶であると明言したうえ、意義付けの内容を詳細に供述しているのである。小千谷の山中で行つた迫撃砲の実験に失敗し、都内での一一月闘争の目処が立たなくなつた直後の機会であるだけに、右の意義付けは被告人自身の気持を整理するためにも必要であつたことが窺われるから、被告人の右供述は措信するに足りるものというべきである。

更に、被告人は自ら仙台に赴き、爆破計画の実行に加わりたい意向であつたが、西巻、菊池が一一月一九日の闘争へ向けて都内で行動(機動隊に対する爆弾の投げ込み)を起こす予定があつたことなどから、これを思い止まつたものであることが明らかである(被告人の前掲第一九項、監物の検察官に対する昭和四七年八月一七日付供述調書謄本第二項)。

(六)  以上のとおりであつて、本件闘争につき、被告人に共謀共同正犯としての刑責を肯認した原判決に各所論の誤認はない。

6 追分交番爆破(クリスマス・ツリー偽装爆弾)事件(弁護人らの控訴趣意第二の六、被告人の控訴趣意七)

<原判示第六事実の要旨>

被告人は、熊谷、西巻及び沼知と共謀のうえ、爆弾事件の頻発によつて厳重になつていた警察の警備態勢を打破して武装闘争派の健在と力を誇示するため、クリスマス・イヴの夕方に警視庁四谷警察署追分派出所に爆弾を仕掛けて爆発させることを企て、治安妨害及び人の身体財産加害の目的をもつて、

一  昭和四六年一二月二四日、前示みゆき荘内の高橋方居室において、クリスマス・ツリーに偽装した爆弾一個〔鉄製ニツプルにダイナマイトを充填し、その周囲をダイナマイトで包んだもの(ダイナマイトの量は合計約四〇〇グラム)を植木鉢の中に入れ、その間隙にアンホ(硝安油剤爆薬)を詰め、その上に黒色火薬を敷き詰め、起爆装置として電気雷管を結合した時限装置付きのもの〕を作り、もつて爆発物を製造し、

二  右一の爆弾を爆発させた際近くに警察官らが居た場合にはその者を死亡させるに至るかも知れないと認識しながら、同日午後六時三〇分ころ、右一の爆弾を原判示追分派出所南東側の壁に近接した歩道上に置き、同日午後七時一〇分ころ同所においてこれを爆発させ、もつて爆発物を使用するとともに、右爆発により、原判決別紙被害者等一覧表記載のとおり、同派出所に勤務中の警視庁巡査長大野文次(当五七年)並びに同派出所付近を通行中の小野良則(当二〇年)、平松洋子(当二一年)、松田治夫(当二六年)、鳥居佐知子(当二六年)、杉山和子(当二三年)及び杉本剛司(当二九年)に対し、加療六年六か月以上ないし八日間を要する爆傷等の原判示各傷害を負わせたが、同人らを殺害するには至らなかつた。

(一)  〈1〉弁護人らの控訴趣意第一点は、原判決は、その「主要な争点に対する当裁判所の判断」と題する項の第二の五において、「被告人は、本件爆弾の爆発により警察官及び通行人を殺傷する事態の起こることを少なくとも未必的には認識しながら、警察官の殺傷についてはその結果が発生してもよいと考えて本件爆弾の製造・使用行為に出たものと認めることができる」旨、すなわち、通行人に関しては、結果発生の認容を伴わない単なる認識にとどまるものであることを繰り返し説示しながら、その結論部分においては忽然として「被告人に警察官及び通行人に対する未必の殺意があつたこと」は明らかである旨説示し、その「罪となるべき事実」第六の二において「警察官ら」に対する未必的殺意を認定判示しているのであつて、理由不備の違法があるというのであり(弁二四八-二五一頁)、〈2〉同第二点及び被告人の控訴趣意は、要するに、被告人らは、本件爆弾闘争は、土田邸爆破事件によつて流布された爆弾闘争に関する陰惨なイメージを払拭し、警察の威信低下を目指すプロパガンダ闘争であり、朝日新聞社に爆弾設置の予告電話をすることによつて警察の爆弾処理班を出動させ、大衆の見守る中で本件爆弾を安全確実に処理筒内で爆発させることを意図したものであるから、原判決が本件爆弾の製造・使用についての身体加害目的及び警察官・通行人に対する未必的殺意を肯認したのは、いずれも事実を誤認したものである(弁二五一-三三一頁、被六七-九七頁)、というのである。

(二)  はじめに、理由不備の論旨について考察する。

所論に鑑み、原判文を査閲するに、原判決は、その「罪となるべき事実」第六の二において、被告人は、同第六の一の製造にかかる「爆弾を爆発させた際近くに警察官らがいた場合にはその者を死亡させるに至るかもしれないと認識しながら」右爆弾を爆発させ、原判示七名の者に原判示各「傷害を負わせたが、同人らを殺害するには至らなかつた」ものと認定判示し、更にその「主要な争点に対する当裁判所の判断」と題する項の第二の五において、本件爆弾の威力やこれに対する被告人の認識、爆弾設置の場所・時刻等に照らし、「被告人は、本件爆弾の爆発により警察官及び通行人を殺傷する事態の起こることを少なくとも未必的には認識しながら、警察官の殺傷についてはその結果が発生してもよいと考えて」本件各犯行に出たものと認められ(原判決書三一丁)、被告人らが新聞社に予告電話をしたという事実は、「被告人が本件爆弾の爆発により警察官及び通行人を殺傷する事態の起こり得ることを認識し、かつ、警察官についてはその殺傷を認容していたと認めることの妨げになるものではない」(同三三丁)旨判示したうえ、「本件爆弾の使用に際しては、被告人に警察官及び通行人に対する未必の殺意があつたこと」は明らかであると結論しているのである。

右の原判示、ことに「罪となるべき事実」の記載に結果発生の認容があつたことの摘示を欠き、また、その認定理由の説明の中でも、通行人については、結果発生の認容のあつたことを明示しないまま未必的殺意の存在を肯認しているなどの点に照らしてみると、原判決は、一見、未必の故意の成立には構成要件該当事実の認識(表象)のみで足り、その実現についての認容を要しないとする認識説(表象説)に立脚しているかのようである。しかしながら、前示「罪となるべき事実」の記載に関していえば、警察官らを「死亡させるに至るかもしれないと認識しながら」と判示し、結果の発生を回避し得る特段の事情について何ら説示することなく、実行行為に出たものであることを判示している以上、結果発生の未必的認識が実行行為を思い止まるための反対動機とはならなかつたこと、すなわち結果発生の未必的認容があつたことを当然の前提として黙示的に示しているものとも解し得るところである。そして、認定理由の説明中における通行人に対する結果発生の認容についても、右と同様のことがいえるのであつて、「通行人を殺傷する事態の起こることを少なくとも未必的には認識しながら」本件犯行に及んだことを認定している以上、前記のように、結果発生の未必的認容のあつたことを当然の前提とするものと解し得るのである。この場合、警察官についてのみ、その殺傷の結果を認容していたことを殊更に明示しているのは、通行人に対する関係において疑問が残らないではない。しかし、原判文全体を通読すれば、警察官に対しては、これを殺傷してしまう事態が当然起こり得るが、それはそれで被告人らの闘争目的にも沿い、宣伝効果もあるというやや積極的な認容があつたのに対し、通行人に対してはそこまでの強い認容はなく、できれば被害を与えたくないという心情があつたものと認められることから、とくに警察官についてのみ、右の積極的認容のあつたことを指摘した趣旨とも解し得ないではない。

そうだとすれば、原判決は、その措辞に適切を欠く憾のあることは否定できないけれども、結局、明示的あるいは黙示的に、警察官及び通行人の双方につき、殺傷の結果発生の未必的認識及び認容のあつたことを説示するものと解することができるのであつて、所論の如く、理由不備の違法があるものとまではいうに由ないところである。論旨は理由なきに帰する。

(三)  次ぎに、事実誤認の諭旨につき検討する。

原判示第六の二の事実における殺意の有無(併せて、同第六の一、二の各事実における身体加害目的の有無。以下同じ。)は、合計一三個に及ぶ本件各訴因(更に、原判示第六の二の事実は、一個の行為が八個の罪名に触れる場合である。)の中で、犯情の点からも、被告人の刑責にとつて最も重大な意味を有するものとして、本件における争点の核心とされて来たものであり、各論旨(弁二四七-三一一頁、被六七-九七頁)も、多岐に亘る主張を展開しているのであるが、帰するところ、本件爆弾は、クリスマス・イヴの午後七時ころの新宿伊勢丹前の交差点という人の出盛かる日時、場所において、大衆の見守る中で安全確実に処理筒内で爆発させ、被告人らの政治的プロパガンダを達成するために仕掛けたものであつて、警察の爆弾処理班が出動してその処理に当たれるよう、充分な時間的余裕を置いて新聞社に予告電話を入れているのであるから、右予告電話が意図的に黙殺されて本件のような経過でこれが爆発し、警察官及び通行人多数に傷害を与えることなどは想像も及ばないところであり、被告人らにはたとえ未必的なものにせよ、殺意は一切なかつたということを主要な論点とするものである。

しかしながら、原判決の挙示する関係証拠を総合すれば、被告人らが身体加害の目的をもつて本件爆弾を製造、使用し、かつ、警察官及び通行人に対する未必的殺意をもつてこれを爆発させたものである点をも含め、原判示各事実を優に肯認することができるのであつて、原判決に各所論の事実誤認があるものとは認められない。以下、その理由を補説する。

(1)  本件爆弾の構造は、おおむね原判示のとおりであつて(但し、ニツプルは鉄製ではなく黄銅製である。)、その爆発状況に照らしても、優に人を殺傷するに足りる性能を有するものであることは明らかである。弁護人らの所論は、原判決が証拠の標目一〇七に掲記する本件爆弾に関する各「鑑定結果回答について」と題する書面謄本は、鑑定の方法等が非科学的であつて証拠価値がない旨、縷々主張しているが(弁三一六-三一九頁)、右鑑定結果によらず、犯行当時において被告人らの認識した事情を基準として考察しても、本件爆弾が人を殺傷するに足りる性能を有するものであることは、誰が見ても明白といわなければならない。所論は、被害者である大野文次巡査長は、爆弾と気付き、一旦持つた爆弾をしやがんだまま置こうとする瞬間という、考え得る最悪の状態で爆発による被害を蒙つているにもかかわらず、なお死亡を免れているのであつて、このことは、本件爆弾が人を殺害するに足りる威力を有しなかつたことを示すものであると主張するが(弁三一九-三二〇頁)、同巡査長が一命を取りとめたのは、不幸中の幸ともいうべき全くの偶然に恵まれた結果に過ぎず、これをもつて所論の証左とするに由ないところである。また、所論は、本件爆弾の殺傷効果の及び得る範囲について云々するが(弁三二〇-三二一頁)、後記のとおり、その設置状況に鑑み、至近距離において人身被害の発生する蓋然性の極めて高い状況の認められる本件にあつては、そのような論議は、意味のある結論をもたらすものとは考えられない。更に、所論は、本件爆弾は、処理筒内に収容され、その中で爆発することを予定されたものであるから、本件爆弾そのものの威力をもつて殺意推認の根拠とすることは不当であると論じているが(弁三二一-三二二頁)、当初から処理筒内に設置するならいざ知らず、爆発予定時刻以前に処理筒内に収容される確実性はないのであるから、その蓋然性及びこれについての認識は別途検討の必要があり、ここで処理筒内における爆発を所与の前提として論議することは適当でない。

(2)  本件爆弾は、クリスマス・イヴの午後六時三〇分ころ、新宿伊勢丹前の交差点北東角にある原判示追分派出所南東側の壁に近接した歩道上に、爆発時刻を午後七時一〇分ころにセツトして設置されたものであり、場所柄、時間帯に照らし、かなりの人通りが予想されるうえ、信号待ちのため、横断歩道前に多数の通行人が滞留することも考えられるところであり、いずれにせよ、設置個所から至近距離内に通行人が立ち入る蓋然性は高いものというべきである。また、派出所周辺を警戒するため、派出所内の警察官が設置個所に近寄る蓋然性は一層高度といわなければならない。被告人の所論は、本件爆弾は歩道上に置いたのではなく、不審物として発見され易いよう、交番の壁に立て掛けておいたものであると主張するが(被八〇-八一頁)、いずれであるにせよ、設置個所から至近距離内に通行人又は警察官が立ち入る蓋然性に有意の差を生ずるものではない。

(3)  本件爆弾は、植木鉢の中に弾体及び時限装置を仕込み、その表面に土と見誤り易い黒色火薬を敷き詰めたうえ、その上にクリスマス・ツリーを立て、紙製の手提袋に入れ、ツリーの先端が一のないし一五センチメートル紙袋から外に出るようにしておいたものであるから、その設置状況から一見してクリスマス・ツリーの遺失物であるかの如き外観を呈していたものである。

従つて、通行人がこれを発見して、拾得物として同派出所に届け出るか、あるいはこれを領得して持ち去ることも考えられるし、派出所内の警察官がこれに気付いて派出所内に持ち込むことも考えられる。しかも、そのような事態は、爆弾が設置された午後六時三〇分ころから爆発予定時刻である同七時一〇分までの時間帯のうちのどの時点で発生するかも分からないのであつて、紙袋の内部を見て偽装爆弾らしいと気付いたときには、これを安全に処理するだけの時間的余裕のないことも充分あり得るのである。のみならず、本件爆弾は、クリスマス・ツリーの真下の外部から見える所にトラベル・ウオツチのケースを置き、そこから色とりどりのコードを複雑に配線したものをはみ出させた偽装の時限装置を設け、本当の時限装置はニツプルの下の植木鉢の底に置いてアンホや黒色火薬で埋没させていたのであるから、爆発物らしいと分かつても、時限装置解除の方法が分からず、処理に手間取り、あるいは偽装コードを切断しただけで安全になつたと誤信する虞れもないとはいえないのである。

(4)  以上のとおり、本件爆弾の構造、性能、設置の時刻・場所・方法、爆発予定時刻等からすれば、その爆発により、付近に居る者を殺傷する結果の発生する蓋然性は極めて高かつたものと認められる。そこで、進んで、被告人らが新聞社に予告電話をしていることが、右の蓋然性及びこれに対する被告人らの認識にどのような影響を及ぼすものであるかについて検討することとする。

はじめに、予告電話をするという提案がなされるに至つた経緯について見ると、熊谷の検察官に対する昭和五五年五月二日付供述調書謄本によれば、〈1〉同人は、仙台国見米軍通信所爆破事件のころまでは、自分達のグループの現状などから、時限式爆弾による闘争でよいと考えていたが、右事件後は、それまでの経験から時限式による方法は確立し、自信を持つに至つたので、他の方法による爆弾闘争を考えるべきだ、時限式を用い、自分達は安全な場所に隠れて警察官の殺傷を狙うのは卑怯なやり方で、警察官と直接対峙して戦うのが革命兵士ではないかなどと考えるようになつたが、帰京した後、西巻、菊池らが一一月一九日に手投げ式爆弾で警察官を殺傷しようとして失敗した話を聞き、手投げ式爆弾を解体したものを見せられて、両名の行動に刺戟され、今後は手投げ式爆弾による闘争をやつて行くべきだと主張したところ、西巻はもとよりこれに賛成であつたが、被告人は、熊谷や西巻らの意見に対し、「基本的な方向としては自分も判る。しかし、まだ時限式でもいいのではないか」と中途半端な態度を取つていた、〈2〉本件犯行の前日である昭和四六年一二月二三日飛雲閣で、被告人、熊谷、西巻が話し合い、宮本も同席した際、被告人が、「明日はクリスマス・イヴだから明日やろう。ベトナムでは戦争をやつているのに、クリスマスどころではないではないか。大衆の面前で爆弾を爆発させて、一般大衆に警鐘を鳴らそう」と言い出し、新宿で、今までと違つて早い時刻に爆発させること、時限式を用いることを提案した、〈3〉熊谷も西巻も、手投げ式の方法を主張したが被告人が時限式を譲らないので、その点は一応納得したものの、被告人のいう場所、時刻に大衆の面前で爆発させるというのでは、一般通行人を警察官と同様に殺傷することとなるのは誰が見ても明らかであり、無差別テロになつてまずいと交々反対したところ、被告人は「いいんだ」と言つていたが、両名がなおも反対したので、「予告電話をするからいい。やろう」と言つた、それでも、一般通行人をうまく遠ざけられるか確実なことは分からないので、「危いのじやないか」というようなことを言つて直ぐには賛成しなかつたが、被告人の言うことはきかざるを得ない立場にあつたので、不安を残しながらも結局は両名とも被告人の案に賛成した、というのである。西巻の検察官に対する昭和四七年五月二九日付、同年六月二八日付各供述調書謄本でも、熊谷、西巻が、一般通行人に怪我をさせる可能性が大きいということで最初反対したが、予告電話をするというので、一般通行人に怪我をさせる可能性がない訳ではないが、避難させることもできると考えて妥協した旨、熊谷と同旨を述べている。なお、証人宮本幸枝の尋問調書謄本中にも、簡単ではあるが、人通りが多いということで「まずいんじやないか」というような意見が出て、被告人の方から予告電話を入れるという話が出された旨、熊谷、西巻の供述に沿う供述が存在する。

してみると、このときの謀議では、当初手投げ式爆弾によることが提案されているように、警察官に対する殺傷はむしろ闘争目的に合致するという認識が前提となつており、手投げ式ならば目標を警察官だけに絞ることができるのに、時限式では一般通行人をも巻き添えにする無差別テロとなることから、一般通行人を避難させる方法として予告電話が提案されたのであり、しかも、予告電話をした場合であつても一般通行人に被害の及ぶ可能性のあることが懸念されていたことが明らかである。この点に関連して、熊谷は、爆弾の中心に入れたニツプル(床上掃除口用の円筒状の金具)の底の方を密封しなかつたのは、時限装置の時計の坐りをよくするためもあつたが、予告電話をするといつても、一般通行人をうまく避難させられるかどうか実際問題として不安であり、その点に疑問を持ちながら結局被告人の意見に従つた不満の気持が残つていたので、完全な密封よりは多少威力が弱くなると思つて、西巻と相談して、被告人には内緒でそうしたものである、また、爆発予定時刻は午後七時となつていたが、仕掛けるのに手間取つたりすると一般通行人を避難させる時間的余裕が少なくなることから、西巻の提案で、被告人には内緒で、セツト時刻を一〇分位遅らせた旨述べており(熊谷前掲第八項)、熊谷、西巻の両名がかなりの危惧を抱いていたことが窺われる。

(5)  宮本前掲によれば、同女は、犯行当日昼休み時刻に新橋の喫茶店「イースタン」で被告人から予告電話の内容と電話番号を記載したメモを受け取り、会社が終つた後、有楽町の喫茶店「富士」で待機していたところ、西巻から、一五分後に爆発するから避難させるようにとの予告電話を入れるよう連絡があつたので、帝国劇場横の電話ボツクスから、朝日新聞社会部に電話し、男の人が出たので、メモを一回読み上げて電話を切つた、内容は、新宿の伊勢丹前の交番に爆弾を仕掛けた、一五分後に爆発するから通行人を避難させるように、メリー・クリスマスという趣旨である、メモには「午後七時に」とあつたが、西巻からの電話で「一五分後に」と訂正して読み上げた、というのである。これに対し、右電話を直接受けた朝日新聞首都部新宿分室のアルバイト学生森明之は、時刻の点は「四〇分後に」と聞いたような記憶であるとするほか、ほぼ宮本供述に沿う供述をしている(森の第一四回公判廷供述)。

各所論は、森は、右予告電話を真剣に受け止め、勤務終了後現場へ様子を見に行つているほどであるのに、同人から報告を受けた同社首都部次長の高木正幸記者が意図的にこれを黙殺し、警察への通報を怠たるという事態は、被告人らの全く予想もしなかつたことであるとし、同記者が森に働き掛けて殊更に予告電話の内容を曖昧なものとした答申書を作成させたことなどを含め、同記者及び朝日新聞社の対応を縷々論難している(弁二六一-三一五頁、被八三-八六頁)。

しかし、本件爆弾は、高円寺駅前交番爆破事件やいわゆる連続交番爆破事件で使用されたものとは異なり、起爆装置の回路を開閉するスイツチがなく、製造過程で一旦セツトした以上、回路の配線を断ち切らない限り、所定の時刻に爆発が起こることを避けられない構造となつているのみならず、清水橋派出所に仕掛けた爆弾が、警察官に発見されて直ちに配線を切られ、不発に終つた経験に鑑み、前記のように、外部から見易い場所に偽装の時限装置を設け、真の時限装置は、黒色火薬やアンホを取り除かなければ発見できない鉢の底に隠してあり、しかも、電気雷管も二本用い、ニツプル内部のダイナマイトとその外側を包むダイナマイトの中にそれぞれ埋設するなど、確実に爆発が起こるよう特に念入りに作られているのである。このような爆発物を、人の出盛る時間帯の繁華街の交番付近に設置した以上、予定時刻の到来とともにこれが爆発し、警察官であると一般通行人であるとを問わず、その時刻にその付近に居る者に対し、無差別的に致命的な被害を与える結果を招来する危険性は極めて高いものというべきであり、かかる結果に向かつての因果関係の進行を止め、たとえ未必的にも人身殺傷の起こり得る危険を除去し得たといえるためには、逮捕の危険を冒してでも被告人ら自ら本件爆弾を回収して起爆装置の配線を断ち切るか、警察に出頭し、あるいは直接に架電するなどして、処理可能な時間的余裕のあるうちに、爆発物の設置個所、爆発予定時刻、起爆装置の構造、解除の方法などを逐一申告し、その処理を一任するなど、真摯かつ確実な結果回避の努力を尽くすことが必要であつて、警察とは組織、機構上何らの関わりもない商業新聞の一社のみに対し、前示の如き内容の予告電話を掛けただけで、人身殺傷の危険が解消したものと確信していた旨の被告人らの原審公判廷における各供述は到底措信するに由なく、これらの供述を前提とする各所論は採用の限りでない。

(6)  弁護人らの所論は、被告人らが追分交番脇で本件爆弾が実際に爆発し、多数の被害者が出るような事態を全く予期していなかつたことは、爆発のニユースを知つたときの各人の驚愕、狼狽、動揺の態度によつても明らかに推認し得ると主張する(弁三二五-三三一頁)。

たしかに、被告人らが本件の結果を知つて一様に精神的動揺を来たしたことは、犯行当夜及び翌日の被告人らの言動から、窺うに難くないところである。しかし、それは、被告人らが観念的に脳裡に描いていた犯行結果と現実に生じた生々しい結果との違いから、現実の持つ重みと迫力に圧倒されたためとも解し得るし、また、被告人らが、爆弾処理班による処理の可能性にも期待を寄せていたことから、予想された中では最悪の事態が発生したことに対する驚きとも解せられるところであつて、必ずしも、人身被害を全く予期していなかつたことの証左であるとはいい難い。ことに、熊谷、西巻の両名は、かねて製造の時点から、通行人の被害発生を危惧していたものであり、その危惧が現実のものとなり、しかも、六名もの大量被害を生じたことが、動揺の主な原因となつていることが窺われるのである。この点に関し、熊谷は、犯行翌日、飛雲閣において、被告人は、犯行を総括して「通行人が怪我をした点を含めても成功だつた」と言い、また、「通行人に怪我をさせたという点がマイナスだとしても、警容官を怪我させた点がプラスであり、全体をプラス・マイナスしても、今回の闘争はマイナスではなくて成功だつた」というようなことを言つて喜んでいたので、少し考えが私とずれているなあと思つた記憶がある旨供述しており(熊谷前掲第一一項)、被告人も、原審第四四回公判廷において、熊谷、西巻が動揺して収拾がつかない感じなので、何か景気のいいことを言つて励まさないとまずいと思い、思い付くままに喋つたものであると弁解しながらも、「通行人に負傷者が出たのは失敗だつた。警察官をひとりやつたのはいいんじやないか」という発言をしたこと自体は認めているのである。このことは、また、少くとも警察官の受傷という事態の発生は被告人らにとつてそれほど予想外のものではなく、従つて、処理筒内で安全な爆発という態様以外の爆発の可能性を全面的に否定していた訳ではないことを示すものともいえるのである。

してみると、爆発を知つた直後における被告人らの言動から、被告人らが、実際に起こつたような態様における爆発の可能性を全く予期していなかつたものと推論するのは、いささか早計のきらいなしとしない。

(7)  以上の検討結果に、被告人の捜査段階における自白供述を総合して考察すると、被告人に警察官及び通行人に対する未必的殺意のあつたことを肯認した原判決に各所論の誤認があるものとは認められない。

三  小結

以上のとおり、原判決には、弁護人ら及び被告人の主張する事実誤認ないし理由不備の違法はないから、多岐に亘る各論旨はすべて理由がない。

第三量刑不当の主張について(弁護人らの控訴趣意第三、被告人の控訴趣意八)

各論旨は、いずれも被告人を無期懲役に処することとした原判決の量刑は重過ぎて不当であるから、破棄を免れないというのである(但し、被告人の控訴趣意は、原判決の認定した各犯罪事実に対する事実誤認の論旨が容れられることを前提として、その当然の反射的効果を主張するものであつて、独立の控訴理由として主張する趣旨とは解されない。)。

弁護人らの論旨は、被告人は、被告人らのグループのリーダーではなく、熊谷、西巻、監物、菊池、高橋、沼地らと並ぶ一構成員に過ぎず、敢えて他の者との差を挙げるならば、他の者より年長で闘争経験が豊富であつたというに過ぎず、闘争の全過程において常に慎重かつ抑制的であり、個々の闘争において果たした役割からすれば、むしろ熊谷や西巻に劣後する、などと主張する。

しかし、さきに事実誤認等の主張についての総論の1で判断したとおり、被告人らのグループは、たしかに組織性の緩やかなものであつたにせよ、組織でない個人の集団であるとか、リーダーのない組織であつたとは認められず、被告人がリーダーとして取り纏めて来たものであることは明らかである。むしろ、構成員の出身母体や政治路線に差異のある緩やかな組織体であるが故に、ともすれば四分五裂して解体する虞れさえないとはいえず、これらを一つのグループとして取り纏めて行く上では、被告人の年長者としての風格や闘争経験に支えられた理論構築の巧妙さが、大いに与つて力があつたものということができる。そして、さきに個別的に判断したように、被告人は、その共謀関係を否認する分をも含め、個々の闘争において、構成員を招集し、議題を提起し、討論を進行させて結論を取り纏め、その幅広い人脈を利用して準備を整え、実行に移すなど、企画、準備、実行の各段階においてグループの頭脳としての機能を営んでいるのである。ことに本件各犯罪事実中犯情の面からも最も重視せざるを得ない原判示第六の追分交番爆破事件においては、従来の方針を変え、宵の繁華街での時限装置による爆発を提唱し、その無差別テロ的結果を危惧して反対する熊谷、西巻を強引に説得し、更に沼知や宮本まで犯行や電話予告に関与させるなど主導的役割を果たしている点は、看過するを得ないところである。

被告人らの各犯行が、社会の治安を妨害し、人の身体、生命、財産に少なからぬ危険をもたらし、現に、右追分交番爆破事件では重大な人身被害を生じさせ、また、同事件を含むいくつかの爆破事件において狙われた施設のみならず周辺の民家等にも多大の財産的損害を蒙らせていることは、原判決がその「量刑の理由」と題する項に詳細摘示するところであるが、被告人は、一方で社会に対し右のような法益侵害を惹起しているのみならず、被告人に共鳴してグループに加わつて来た若者を次々と犯行に関与させ、多数の共犯者を作り出して来たのであつて、既に刑の確定しているこれら共犯者に対する科刑との均衡をも考慮に容れる必要のあることはいうまでもない。

所論は、原判決が、被告人には真摯な反省の態度が見られないとしているのは皮相的であると主張するが、被告人は、右のように多数の共犯者を犯行に巻き込んでいるほか、被告人らの長期間に亘る逃亡生活において、これに関係した第三者や被告人と同行した女性に対し並々ならぬ迷惑を及ぼしており、そのことに関してはたしかに反省の情を吐露しているけれども、政治的プロパガンダ闘争の名の下に社会に対し前示のような多大の法益侵害をもたらしたことに関しては、これを非として反省する態度は窺われない。

その他、原判決の指摘する諸点をも含め、被告人に有利又は不利益な一切の情状を総合勘案してみても、被告人に対する原判決の科刑はまことに止むを得ないところと認めるほかなく、これが重きに過ぎて不当であるということはできない。論旨は理由がない。

第四結語

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条に則り当審における未決勾留日数中六〇〇日を原判決の刑に算入し、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して当審における訴訟費用は被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 船田三雄 裁判官 半谷恭一 裁判官 龍岡資晃)

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